つい先日、発掘調査がすすめられている遺構が舒明天皇の古墳ではないかというのでマスコミを賑わしていた。歴史上の権力者は、最初に葬られた墓とは別に後から大きな墓が作られていたり、丘だと思われていたところが墓であったり、誰それのは墳墓とされていたものが違うヒトの墓であったりするのか!? そんなこんなで色んな推理推論もあるのだな。
その舒明天皇の古墳ではないかと言われる最大級方墳は7世紀中頃のものだそうだ。宇治にあるこの二子塚古墳は六世紀前半のものと推定されるという前方後円墳。素人が知ろうとしても、白黒はっきりしないところには入り込めない。で、それが何か・・・ということになりましょうが、散歩の途中でこんなとこがあったという、ただそれだけ。