都会では、棚が公園や寺の庭に設置されて、藤は美しく花房を垂れ下げるよう仕付けられている。
田舎の山で藤の花が咲いていれば、それは管理のいきとどいていない山。
藤は木に絡まって締め付ける厄介物でしかない。
ウチの杉に絡まって咲いている藤は、植物に全く無知な人が見たら、杉はこういう花を咲かせるのかと思ったり、藤はまっすぐ立ち上がる木なのかと勘違いするだろう。
藤が滝のように咲くという表現や、雪崩のように咲くという表現を見たか聞いたかしたことがある。
誰が表現したのか全く思い出せないけれど、ウチの藤を根元から切らないでいるのは、この藤の花を愉しむ人がいるから。
十年ほど前に重い初雪で杉の先端が折れ、それに藤蔓が絡まっているせいで、宙ぶらりになるということがあった。
右端の杉なのだが、いつ落ちるか危ないので何とかしてくれないかと、下の池で鯉道楽をやる人から言われた。
仕方ないのでその蔓と思われる太い藤を切ったら、今度は近所のお婆さんが、いつも綺麗に藤が咲くのを楽しみにしているようなことを言うのであった。
亡き母もそれを楽しみにしていたというような思い出話まで言われたら、それ以上は切れなくて放置している。
北山杉の中には人為的に小さな舟型を巻きつけ、絞って凸凹を作る床柱がある。
龍が巻きついたような痕跡が螺旋にできた杉材は銘木になったりしないんだろうか、と思ったりするけれど期待薄。