『在宅ひとり死のススメ』上野千鶴子著を読んだ。
居直りではなく、言われてみれば当たり前というズバリの書きようが痛快で、不安が解消するまではいかなかったけれど、励まされる内容だった。
死に方のシミュレーションをいろんなケースでやっておくべし。
左右の蜜柑は愛媛県産ハレヒメとベニマドンナで、高級品なのにコタツの上にいつも載っている。
贈ってもらったからこその、自前で買うことは考えられない贅沢品なので、腐らせてしまう寸前の柔らかジューシーを見定めて食う。
ひとり死を思い描いたりしつつ、いつどうなるか分からないと考えれば、冥土の土産になる美味体験もあってしかるべし。
子どもの頃、めったに食べることのできなかった中村屋の月餅は、小豆餡も美味しいけれど、なんといっても木の実餡の味わいが忘れられない。
それが生協でも正月用に売っていたようで、あてがわれたのが干支の寅を描いたもの。
なんと貧相になってしまったものよの~と食べてみたら、子どもの頃と同じ味のようではあったが、この頼りなさはなんだ。
一度に食べるのがもったいないくらいずっしり大きくて、時間をかけて食べた、あの月餅ではないような気がする。
私の舌が贅沢になったのだろうか、思えば遠くに来たもんだときたもんだ。
うちの満月蝋梅が咲き始めた。
どう撮ってもボヤボヤ~としていて焦点が合ってないように見えるのは蝋梅の特徴だろうか、しっかり構えているつもりでも揺れるからだろうか。
古い機種だけれど一眼レフで花を撮るなら三脚を買うべき、となれば、リサイクル・ショップを回ってみるべしか、いやいやどこかにあったはず。
何かを捜そうと行動すれば不要なものがたくさんでてきて少しは捨てることができるから、いつも何かを捜して動くべしだ、宝探しを家で。