鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

路傍の茸

2019年10月16日 08時00分53秒 | 身の周りの植物


歩道の脇にキノコが生えていた。
何かにかじられたような凹みがある。
ということは毒キノコではないのではないか。
アリがかじり取って巣に持ち帰ったのではないか。
戻ったらキノコが成長していて、美味しい位置がわからなくなっていたのかも。
地味だから子どもに蹴られることもなく、犬に食われることもなく生えたのだろう。
この頃の飼い犬は決められたドッグ・フードしか食べていないので、拾い食いなどはしない。
においを嗅いで、パクリとやりそうな感じがあれば、寸前にリードをグイと引っ張られるはず。
『路傍の石』という小説があったのを思い出して、路傍の茸としたけれど、路傍と書いて『みちばた』と読むこともあるのかどうかCASIOの広辞苑で調べてみた。
路傍はみちばたとは読まないけれど、意味は道端に同じ。
ならば、道端を引いてみると、路傍に同じことが確認できた。
『みちばた』の次に『みちばち』とあり、『蜜蜂』の漢字があてられ、{「みつばち」に同じ。〈倭名類聚鈔(19)〉}とあった。
蜜のあるキノコで、『みちばち』がかじった跡ではないのか、というのは強引すぎる推理として却下。
倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)は{日本最初の分類体の漢和辞書。源順著。・・・}とあった。
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現場中継放映に対して

2019年10月15日 00時08分44秒 | 懐疑・猜疑・疑義
台風19号の各局テレビニュースを観て、そのたびに疑問に思うことがある。
衝撃的な映像が撮れると、それを何回も出すのは分かるけれど、なぜもっとその画面に情報を盛り込まないのだろう。
初めてのスクープ的LIVE映像を流す場合は仕方ないかもしれないが、二回目以降はせめて東西南北や、市町村の後の番地まではいらないにしても地区名くらいは入れておくべきではないか。
GPSで位置情報がその場ですぐ分かるのに、流すのに良い映像や的確な象徴的コメントが得られると、もうそればっかり。
それも仕方ないにしても、いつの時間のことを出しているかの数字文字を添えなくてどうするんだ。
他人に伝える文章の5W1Hは基本なのに、ビジュアルに頼ってばかりの、たどたどしい表現が多すぎる。
そうしてニュースを観るたびに、これも観たシーン、今度のもまた観たということばかり。
わずかにコメントや被害状況の数字が変化していくのを、ただ追っているだけという状況は誠に残念。
ニュースのコメントは大体において拙いのだから、せめて LIVE映像最重視の現在進行形主義を貫いて欲しいものだ。
危険をおかしたり他人の迷惑を顧みずに特攻的にやるとか打ち合わせをしたヤラセは論外だけれど、このレポーター、このキャスターの物の言い方捉え方は素晴らしいと思う事が少なくて、これも残念でたまらない。
良いと思えるのは、つい先ほど観た有働由美子くらいか。
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コブシ(辛夷)の実

2019年10月14日 02時23分03秒 | 身の周りの植物






コブシの実が裂け始めた。
この赤さは鳥に食われるための誘いの色とみて、検索すると、果たしてそのような学術的調査資料があった。
ヒヨドリ、ムクドリ、カラスなんぞが食うらしい。
拳状の実をつけるからコブシだそうだけれど、拳の連なりってどうも変。
植物の規則正しさ、幾何学模様の妙といったものからは外れて、なんか生々しい。
虫こぶのような両生類の卵っぽいようなところがあって、見るとザワザワとする。
不味いとあったり、砂糖漬けにするとどうとかあったけれど、触りたくないので観るだけ撮るだけ。

※台風一過、19号のもたらした雨は、宇治のウチのポリバケツ雨量計では90mmほど。
隣の金物は、中に入れていた重し。
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嵐の前の夕焼け

2019年10月13日 06時53分18秒 | 日記


一昨日の夕方、西側に下る坂道から撮った。
スマホで撮ったままの一切加工なし画像だが、不穏な雰囲気。
昨夜は長野市にいる親戚の独居老人から、生まれて初めて避難所にいると連絡があった。
今朝も田舎の市役所から『大雨警報継続中』『洪水警報継続中』と数分おきにメールが来ている。
テレビに映される、千曲川の堤防決壊場所を観ると、暗澹たる気分と大きな不安に襲われる。
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冬花蕨(フユノハナワラビ)

2019年10月12日 00時51分51秒 | 身の周りの植物


田舎ではトコワラビと呼び、大事にされたりするようだ。
床の間に飾る蕨ということらしい。
群生することはあまりなく、とびきり綺麗ということもなく、目立つわけでもないから、最近まで知らなかった植物。
田舎の敷地内に生えていたのを植木鉢に移して持ち帰ったのが生き延びている。
陽の射さない隅に置いてるのが幸いしているようだ。
冬のワラビのはずなのに穂の成長が早すぎる気がする。
田舎は豪雪地帯なので、早めに胞子を成熟させる雪国仕様になっているのか。
これもまた、干して煎じると腹痛や下痢の薬になるという、薬草。
カンワラビ(寒蕨)という別名もあるというが、フユノハナワラビという名が何ともいえず良い。
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そろそろバジル?

2019年10月11日 05時37分37秒 | 食べ方




一袋の種全部を蒔いたら、どれだけ生えてしまうんだろうと思うくらいにバジルは良く育つ。
匂いはいいけれど、料理に添えるとか利用するということは、今まで馴染みがない。
小さな白い花は蜜蜂の蜜源でもあるので、田舎で適当にばらまいて育っているのはそのままで役立っているはず。
こちら小さなプランターに育ったバジルは、オンブバッタがしょっちゅう止まって葉っぱを喰っている。
バジル・ティーを味わおうと干しカゴに葉っぱを入れ始めた。
ざっと洗ったらタオルで水気を取ったらよいものを、濡れたままネットに入れたから、なかなかカサカサにならない。
電子レンジを使わず、天日と自然の風だけで乾かそうというecoな考えだが、世間に漂うチリも少し入るのかも。
各種ハーブ・ティーの元を保存ビンに溜めようと考えているのだが、他にはビワの葉とレモン・バームが狭い庭にあり、田舎にはソバ、カキドオシ、ドクダミ、ゲンノショウコなどもある。
田舎のはハーブと言うより、煎じ薬っぽくなってしまうのは仕方ないか。
タイトルにした『そろそろバジル?』は『バ』にアクセントをつけず、『食べる?』と同じように発音して、ティー・タイムにしたら良さげ?
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二年目の里芋

2019年10月10日 09時15分25秒 | 農事






陽が半日しか当たらない狭い庭で、プランターに里芋を植えている。
春に種芋を埋めたらその秋に収穫だけれど、あまりに地上の茎や葉っぱの成長が貧弱だったので、去年の秋は茎の枯れるまま芋は掘らなかった。
今年の成長ぶりも肥料より陽光が大事なのだと分かるヒョロヒョロだったが、観葉植物的なアクセントにはなった。
一株を掘り上げてみたら、期待薄の予想通りと言おうか、まぁまぁの出来とでも言おうか。
三枚目画像の右端の薄茶色の部分は親芋の親、爺婆芋で食えない。
あとはいちおう一食分のおかずにはなった。
二年かかってこれだもの、花でも咲いてくれたら、まだマシなのだけれど。
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十能が売られていた

2019年10月09日 00時16分16秒 | 言葉の世界




「十能が売っていた」と会話なら言うところだけれど、なぜか文章にすると変。
「十能を売っていた」としたいところだけれど、そうすると叩き売りみたいなのでやめた。
と、そんなことではなく、ホームセンターで見て懐かしかったので撮った。
なぜ十能なのだろうという疑問には向かわないでおこう。
じつは危ない経験がある。
雪国で育ったので、冬の朝は囲炉裏で焚く火の中から暗赤色になった炭を火箸でつまんで十能に入れ、炬燵まで運んだ。
それを小学校低学年ですでにやらされていた。
兄姉がいたから、いつもやっていたわけではなく、たまにやっていただけなのかも知れない。
そうして囲炉裏の間から居間への移動中に焼けた炭を畳の上に落としたことがある。
子どもはいつだって何をするにしたってチャレンジャーだから、危うさを楽しみハラハラを好む。
私はいまだにそのような性状を残しているけれど、そのように十能に危なっかしく積み上げた炭だったはず。
詳しくは覚えていないけれど、小さい欠片なら素手で拾い上げて戻し、指先をフーフーしたりしながら何食わぬ顔で済ましたはず。
大きい炭でも、全体が赤くなっているわけではなく半分くらい熾きたのを炬燵に入れるはずなので、黒い部分を持ち上げて事無きを得たと思われる。
その事で、朝の大忙しの母から叱られたという記憶はない。
ただ、一度、火の着いた炭を畳の上に落としたことがあるという経験を持った事は、その後の人生に少しは生きたはず。
瞬間的に、炭火だって素手で持ち上げられるという事、燃える火だって手ででも消せるということなど、とっさの瞬発力は経験の有る無しでかなり違うのだからして。

おまけ;検索中に『火かき棒が十能を笑う』という、『目糞鼻糞を笑う』と同様のことわざがあることを知った。
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キマダラカメムシがいっぱい

2019年10月08日 02時02分02秒 | 




ある場所に、この種類のカメムシが10匹近く集団を作っていた。
もう越冬体制なのか、集団見合いなのか、いずれ交尾するのかした後か、そのような雰囲気。
以前これは取り上げたことがあったのだけれど、名を忘れていて再度調べて分かった。
斑らの点の黄色がかっているところが命名ポイントですか。
最初の画像だけで十分だろうけれど、なんだかまとも過ぎて面白みがない。
2枚目の左側のヤツは、腰を浮かせて屁っ放り腰なのと脚の具合が漫画的。
全体画像としては不出来不満だが載せたいと思った次第。
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一文字に三つ星の家紋

2019年10月07日 00時10分33秒 | 農事


毛利氏の家紋は、これだったなと検索してみたら、何となくイッピン(一品)と覚えていたのが間違いではなかったと分かった。
一品はイッポンで、親王の位の第一位だとかなんとかいう話で、家紋は一品の文字の図案化とか。
それより自慢したいのは、わが故郷の山間部の一部で作られ続けてきたというこの太長いバナナカボチャ。
毎年、紹介をしているけれど、今年もまたバナナのように美味しいというこれがかなり獲れた。
バナナが希少貴重な果物であった頃に、こう呼ばれることになったのだろう。
こいつは一番の器量良しなので種を取って、来年もまた作ることになる。
『品』のカリンは、いつもの運動公園で今年も蜂蜜漬けにするために拾ったりもいだりしてきたもの。
一個で十分だけれど、中がどうなっているかわからないので三個。
どうやって作るのだったかと、またネットで調べ、蜂蜜とで自家用のど薬を作る予定。
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茸を見つけると

2019年10月06日 07時50分07秒 | 懐疑・猜疑・疑義




撮らないではいられない。
食べてみたいと思うわけではなく、花とは違うシンプルな形と色合いに見惚れる。
童話にあるような世界へ誘われるのが気持ち良いからかもしれない。
ところが、どんな毒を含んでいるのか知れないのが茸。

これを書いている横で、関電幹部が高浜町の元助役から受け取った金品の数々は彼らの記憶頼りだと伝えている。
死人に口なしだけれど、こうしてぐずぐずしている間に、元助役が顧問をしていた会社や自宅に残っているかも知れない贈賄リストが関係者によって処分されてしまうのか。
死ぬのを待って、ようやく出てきた、出してきた驚くべき事実。
スペインのフランコやカンボジアのポルポトをも思い出す。
大金が動く裏には、暴力装置が必ずあり、国の方針というよりアメリカからの指図をひたすら遂行する官僚と政権のシナリオを助ける議員と利権がある。
これもまた、誰かが自殺するようなことになり、ウヤムヤになっていくのだろう。
何が発覚しても何があってもそこからエネルギーを得て、決して倒れることのないパワフルモンスターを我々は育てている。

可愛い茸を見つけてメルヘンにひたったりしている暇はないとは思えど、易きに流れる日々。


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全身緑色のカメムシ

2019年10月05日 00時47分47秒 | 


カメムシと遭遇することの多い季節になったか、という感触を持った。
こいつはテニスコートのネット支柱に止まっていた。
ネットの縁にボールが強く当たれば振動が支柱へ伝わることだってあるだろうに、何故かずっと同じ場所で動かなかった。
調べてみると、ツヤアオカメムシだと思われるけれど、緑一色の保護色がなかなかにシンプルで美しい。
私は緑色が色の中で一番好きなので、カメムシも緑色のコイツは別格な感じがする。
検索して見た画像と違う点は触覚が短いところ。
カミキリムシなどもそうだが、触覚は竹のように節がある。
節の部分でポキリと折れたり、再生したりするのだろうか。
触覚が折れると活発に動きにくいのかもしれない。
亀の甲羅に似ているからカメムシなのだろうけれど、首まで似ているのだということを今回認識した。
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東京オリンピックの聖火台に火焔型土器を

2019年10月04日 06時04分06秒 | 勝手に応援




新潟県と長野県とが東京オリンピックの聖火台に火焔型土器をと運動をしているそうだ。
今回は北陸道経由で京都へ戻らずに、長野の親戚に寄って長野道、中央道、名神経由にした。
117号線を長野に向かっているときに、道の駅信越さかえでトイレ休憩をした。
火焔型土器はわが故郷十日町市近辺だけで出土したと思っていたら、信濃川流域は長野県でも、ちょっと離れた富山県でも出土されたのだという出土分布地図があった。
でも、私の通った小中学区ではないけれど、その隣の学区で出土した火焔型土器が唯一国宝に指定されている。
田舎での酒飲み話では、何をするにせよオラ方のショ(衆)は宣伝が下手で・・ということになる。
オリンピックは経済効果や国威発揚のようなものが全面に出てしまいがちだけれど、『芸術は爆発だ』と言った岡本太郎が縄文芸術に影響された作品を創り、万博の太陽の塔もそれらのデフォルメであったように、火焔型土器を聖火台に採用したら最高なのにと思うわけである。
NHKの朝ドラが日本で発展したアニメーション文化を取り上げ、今度は陶器の里信楽が舞台となっている。
この朝ドラで火焔型土器のことが取り上げられたらタイムリーで良いのに・・などと思う。
大河ドラマでは、嘉納治五郎はこんなにもオリンピック精神と東京招致を情熱的に語る人だったのかと驚きをもって観た。
私は、ペットロスのような加納治五郎ロスになりそうだ。
有名人が、聖火台は国宝の火炎型土器が良いですねぇ・・と言ってくれないものだろうか。
何しろ宣伝下手の裏日本の動きが歯がゆい。
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マタタビの花

2019年10月03日 01時15分00秒 | 身の周りの植物


山越えの近道を使って帰るときにマタタビの花を見つけた。
近道とはいうものの、信号がなくて車が少ないから楽というだけで、じつはくねくねと距離は長くなる。
マタタビの花を見つけたのは運転中に見たのではなくて、たしか以前マタタビの半白の葉っぱがあったはずとわざわざ車を停めて探した結果。
花があったということは1ヶ月後に同じ道を通れば、実を採ることができるかもしれない。
葉っぱを乾かしてお茶にするという記述がネットにあったので、実がなかったら蔓ごと葉を採ればいい。
ちょっと藪漕ぎすれば、谷筋の向こう側にかなりあることは確認しているので、忘れていなくて時間的ゆとりもあって通りがかるという偶然があれば、というところ。
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アブラナ科三種

2019年10月02日 12時37分00秒 | 農事




ポットで育てていた白菜を畝に移植したのが、だいたい1ヶ月前で、キャベツは半月前。
種蒔きしたポットも食卓用蚊帳で保護していたので、移植してすぐに防虫ネットを張った。
真ん中の畝の穴は、2週間前ダイコンを蒔くためにビンの底で蒔き床を作った状態。
ベテランからはキャベツには必要だけれど、白菜にトンネルは必要ないと呆れられた。
薬液を一回吹きかければ大丈夫だと言うのだが、こちらは農薬を使わない方針なのでそのままにした。
1ヶ月過ぎたら白菜はネットに着いてしまうほどに窮屈な様子なので、散布はやらないままネットを外した。
青虫だらけの虫食い状態になるのかもしれない。
2週間でダイコンは芽生えて、間引きをいつやるのか、その後はどうしたら良いのかを調べなくてはならない。
これらのアブラナ科の三種類は、毎年うまくいかずモノになったことがない。
今年も周りの人より遅れ気味のスタートだったけれど、食えないことはない程度の出来になるのではないかと期待する。
何しろ月の半分は留守にするので、その間のことは不安というよりスリルに近い。
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