鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

エビガラスズメの蛹

2021年10月16日 13時33分33秒 | 








サツマイモを作っていた畝の横を草刈りしていたら、こいつが出てきた。
草刈りも場所や生え方により、草刈り鎌、半円刃鍬もどき、エンジン草刈り機、乗用芝刈り機の中から道具を選ぶ。
この時は半円刃鍬もどきを使い、土ごと削りながらの作業したのだが、刃に当たらない運の良さで蛹が現れた。
防草シート代わりに敷いてある廃材タイルカーペットの通路に、この蛹はとりあえず置いて作業を続けた。
この蛹は持つと尻をピクンと振ったりして生きていることをアピールするが逃げも隠れもできない。
仕事をやり終えた時には、すっかりこいつの存在を忘れていて、その日の夜中に思い出した。
懐中電灯を下げて、道を隔てた前の畑に行こうかとも考えたが、家の周りの敷地内ならともかくと思い、やめた。
夕方にカラスにでも見つかったら食われてしまっているはずで、どこで飼われているのか分からない猫もいる。
夜中には雨も降ったから次の朝、ごみ収集の集積所に行ったついでに回って見たら、置いたそのままに居た。
冷たい雨になっているこの時期の一晩濡れっぱなしだったのに、持ってみたら尻も振る強運で生命力のある奴。
雀蛾の蛹であることは予想できたので、検索したら候補が絞りにくかったけれど、サツマイモの葉を食害するということで、エビガラスズメであると決定。
エビガラは海老柄だろうか、まだ掘りあげていない裏の畑のサツマイモの葉を撮った。
サツマイモの葉っぱの調理実験はこの畝から、食われていない葉を選んで採ったもの。
エビガラスズメの蛹は、来春に羽化しても良いよう、みその空きケースに入れ、私の生きた収集品とする。
最後のアマガエル2匹は柿の葉っぱにいたものだが、どういう認識のもとに並んでいるのだろう。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

料理と調理実験

2021年10月15日 00時21分21秒 | 食べ方








お隣の奥さんが、ひと鍋分のおでんを持ってきてくれた。
同じ敷地内に息子さん家族が住んでいて、共稼ぎで忙しい彼らのために料理をすることも多いので大量に作ったものだろう。
私の一人分も含めて六人分となると、どんな大きな鍋で作ったのだろう。
3食に分けていただいて完食したが、まことにもって、久しぶりのおでんおでんした料理でありがたかった。
自分の作った食材がたくさんあるのだから、作らなくてはと思い、今年初めてのカボチャの煮付けを作ってみた。
昨年にも何回か作ったので、もうレシピを見なくたって作れる数少ない料理につき、迷いなくなんとなく何気なく作れた。
汁を捨て弱火で転がしながら水分を飛ばしたら、粉を吹くのだろうか。
焦がしてしまうのが嫌だし、味は冷める時に染みていくものだろうと、一晩置いてから食べたら普通にうまい。
八重山に住む友人が芋の葉っぱも云々と書いていたので、サツマイモの葉っぱだけを摘んできた。
ニンジンとゴボウのきんぴらに混ぜ込んでみようという実験的調理を試みる。
ニンジンの葉っぱはモロヘイヤのようにネバネバするものだと分かったが、かなりの空腹時でないと食えない味になった。
それに葉っぱがシナシナになり、かさが10分の1ほどになってしまったところで火を止めたのだが、ゴボウもニンジンも硬めだ。
せっかくだから捨てることはしないわけで、だれかにひと口食べさせてみたいものの、自分独りで責任を取るしかない。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生き物の表情

2021年10月14日 09時13分30秒 | 身の回りの生き物のこと








外出を控え、家を出るときはマスクを着け、人と接触することを避ける文化が根付いてしまうのではないかなどと、1ヶ月ほど前までは思ったものだった。
幸いに、専門家も首を傾げるほどに、何が良かったのか効果があったのか判然としないまま、コロナ騒動も終息に向かっているように見える。
ポツンと山奥の一軒家に住み続けて社会から孤立充足している人以外は、膠着状態とか逼塞状態を目に見える形で体験したわけで、後々これが個々人にどう影響するのか観察していきたい。
コロナの影響も少しはあったから、篭り気味に独りで過ごしていると、動くモノへの反応が早くなったような気がする。
動くモノと言っても動物といったものは目につくことがあまりなくて、小さな生き物に立ち止まることが多い。
そうして何かしらの擬人化した表情を感じて、スマホを構えては『じっとしとけよ』と念じながら撮る。
カマキリはこちらの反応に同調するように、『なんだおまえ』というポーズをするからおかしい。
アマガエルは何を見続けてこんなポーズをしているのだろうと思うことがあり、こいつは上向きで空を見るばかり。
蕎麦の実を乾かしている箕(み)の縁にいたのは緑の尻をした蜘蛛で、止まるとどっちが前かわからないが、これでも威嚇のポーズか。
最後の画像は以前に出したことがあるコスモスに止まっていた昆虫で、専門家に問い合わせたらユスリカの一種でフタモンツヤユスリカのメスが候補と教えてくれた。
花に向けて構えていたのに、虫がいるとなれば花より虫にいく性で、ユスリカの成虫は口も消化器も退化しているそうだけれど、こいつは花に止まって何とするのか、小さいけれど姿も名もなかなかのものだ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モンシロチョウ(紋白蝶)のアオムシ(青虫)

2021年10月13日 00時16分16秒 | 








アオムシと聞けば、菜の周りを飛び回るモンシロチョウの幼虫のことと思い込んでいたけれど、毛虫ではない青い芋虫の総称のようだ。
青蛙がアマガエルだけのことではなく、青い色全般の蛙であるのと同様だ。
アオムシに一番狙われるのはキャベツなので、苗を植えた時点で防虫ネットのトンネルを作って備えた。
次が白菜で、こちらは多少食われても、スズメやハチが食うだろうと放っておいたのだが、ポツンポツンと丸裸にされる苗がでる。
よく観ると、モンシロチョウのアオムシは葉っぱの筋に沿って擬態していて発見しにくい。
昼間は擬態のフリーズをして、夜中にもりもり食うようだが、濃緑の糞をぽろぽろと残しているから、目を凝らせば分かる。
ぶよぶよを掴むのは苦手でも、自分の作物を食われたとなれば別、即刻掴んで潰す。
モンシロチョウが止まった白菜の葉の裏には、0.5mmくらいだろうか、卵が必ず産み付けられている。
ちゃんと安全な菜っ葉を選んでいるのか、農薬を使わない、うちの菜っ葉だけが穴だらけになっている気がする。
丸坊主にされたのでも、芯が残っていれば復活するから、とにかくアオムシ探し、と言うよりは、アオムシの糞がないか毎日点検する。
少し食われた跡があるのに、いくら探してもいないこともあるので、やはり天敵にさらわれていくのだろうと思われる。
ところが、天敵のスズメが2ヶ月前にはたくさんいたのに、近頃見かけない。
スズメは害鳥になることもあるが、いなければいないでとても困ったことになるのではないかと思われる。
農事の師に聞くと、この頃カラスも数羽しかこの辺りにいないと言う。
農事の師と私だけが決して除草剤を使わない。
私は、ある時から各種殺虫剤も使わないことにしている。
ナスの生り始めに何かがつついたような傷跡を残して被害があるのを確かめたくて、ネズミ捕獲用粘着シートを仕掛けた。
数羽のスズメが掛かって、気の毒なことをしたと後味が悪かったので、それ以来仕掛けていない。
その後のスズメは、蒔いた蕎麦の種を数十羽で食い荒らしていたものだが、それは放置しておいたのに最近姿を見せなくなった。
何か不吉なことの予兆か、とにかく最近の私の心配事はスズメがいなくなったことだ。
丸裸にされた白菜が、雪の降る前にモノになるかどうか分からないけれど復活してきた。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

足湯にアシナガバチ(足長蜂)が浮いていた

2021年10月12日 00時47分47秒 | 旅行








野沢温泉の無料足湯に漬かっていたら、アシナガバチが浮いていた。
弱アルカリ性硫黄泉の高温湯を人間には程よい熱さに薄めてあるけれど、蜂には毒だろう。
よくよく観れば、足を動かしつつゆるくもがく様子なので救ってやろうかと考えた。
両手でお湯ごとすくって外に出してやったら良いものを、片手てのひらでも素早くやれば刺すことはないだろうと、いちかばちかの気が湧いてしまう。
そういうことをしては、色んな失敗をして来たのだけれど、この歳この期に及んでも小さなスリルがやめられない。
左手ですくい取ると同時に放りだすと、結果ことなきを得て、蜂も穏やかに翅を整え始めた。
となれば、もう興味は失せてそこでお終いなのだが、画像から検索してみれば、刺されるとスズメバチと同じくらいの痛みのセグロアシナガバチとある。
巣を刺激しているわけでも、じかに掴むわけでもないから刺されることはまずもってないだろうという確信があるので、へーそうだったかと思うだけ。
歴史ある温泉場に行きながら、晴れていれば妙高も望めるらしい高台の足湯にしか漬からず、お薄を呑み、焼鳥丼とソフトクリームを食べ、温泉饅頭を買っただけ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蛤(はまぐり)のこと

2021年10月11日 17時17分17秒 | 食べ方








蜆(しじみ)も浅蜊(あさり)も虫偏が付くということは、虫と見なされていたということだろうか。
帆立貝や赤貝とは次元が違う旨さと私は感じていて、汁物では蛤1番、蜆が2番、3番は浅蜊と思っている。
ところがムール貝を食べた時には、これは別格とほっぺたを落としそうになった。
それはそうと、独り暮らしの私に送って来てくれた蛤は、よそに分けて差し上げるのも気が引けたり、もったいなかったりして、これを機会に蛤を調理できる人間になろうと考えた。
ポイントは塩加減=塩梅と時間を掛け過ぎないふっくら加減に尽きるという結論。
最後の2個は、時間が経ってなんだか苦しそうに見えたので、海水を作って入れた。
そしたら糸状の粘液を吐き出したので、これですっきり生き返っただろうと話しかけたいような気分。
1mmほど口を開けていたので、持ってみると、素早くきゅっと閉じたりして、ほとんど飼っている状態。
10年近く前に、蛤ほどの大きさの淡水産バカ貝だったかを何ヶ月か飼ったことがあるけれど、何が良かったのか悪かったのかも分からないうちに死なせてしまった。
2個の蛤を生き物として観察してみて、初めて分かったことが、蝶番は一方にしかないことや、模様に法則性があることなど。
食べ終わった殻を見て、貝合わせをするには大きさが一致していても絶対に半身分身でないと合わないことも確認できた。
子どもの頃に、蛤の合わさったこぶ部分をコンクリートに擦って二つの穴を開け、その穴を吹いて音を出して遊んだものだが、蝶番をもぎ取った後の細い隙間から空気が漏れて音が出たのだろうと推測した。
そうこうして遊んでから(これも食べ物で遊ぶことになろうか)終いの2個はレシピ通りの時間と分量を守って、ほぼ完璧においしく食い尽くす。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豪勢な食事

2021年10月10日 00時02分02秒 | グルメ






つい先日の地震の震源地近くにいる友人から蛤が送られてきて、天下分け目の関ヶ原近くに住む同級生からは帰省途中の土産の鱒の寿司をいただき、豪勢な食事となった。
蛤の味を最大限に引き出すのはシンプルな潮汁に限ると実感できた、こいつは2度目に塩梅がうまくいき、身もふっくらとして、しみじみ旨い。
裏に自生している三つ葉を採ってきて入れたのも正解だった。
鱒の寿司は、年に何回も富山県を通り、必ずといっていいくらい有磯海S.A.は利用するのだけれど、贅沢はできないと見るにとどめている。
変わらぬ味の鱒の寿司を、まだペロリとひとつ平らげる食欲のあることも嬉しい。
蛤には、おまけの蟹がたまに入っていて、寿司の上に乗せて記念撮影。
当然のように、最後にちゃんと蟹もいただく、おいしいわけではないけれど。
缶ビール350mlひと缶も添えたのだが、呑み忘れるほど寿司と汁に夢中になり、全部は呑みきれなかった。
夕飯前の西空に、絵に描いたような三日月が浮かび、これで電線がなければ良いのだけれど、あってもさほど悪くないかと偶然を切り撮った。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うちに居るヤマアカガエル(山赤蛙)達

2021年10月09日 10時49分10秒 | 身の回りの生き物のこと








マスクをしてまで人と会いたくないという気持ちがあってこもりがちだから、買い物に行くのだって回数は半減した。
そうして自分の敷地内で農事やら独り遊びやらをしていると、いちばんよく会うのが蛙で、それぞれの種の個性などを観るにつけ、人間に近い表情を感じたりする。
鳥獣戯画を描いた鳥羽僧正という人がどういう人か知らないけれど、独り暮らしの無聊を埋めるべく擬人化ファンタジーを創り上げていたのだろう。
それはともかく、ヤマアカガエルをネット検索すると、うちにいる奴らはどれも皆、正統派ではないような気がする。
背中の両端にあるとびでた筋が、パソコンで見るヤマアカガエルはくっきりと素直な線なのだが、うちのはどれも青筋立てているような静脈瘤のようなものを連想させる曲がり方。
人間の指紋、牛の鼻紋のように、個体識別には役立つようで、いつもの場所で見るヤマアカガエルは撮ってみると、同じ奴だと背中の筋模様から判別でき、私からは逃げるくせに狭い範囲を生活圏としているようだ。
オリンピックのボクシングで金メダルを勝ち取った女子大生が、蛙好きを常にアピールしていて、蛙とどう関連するのか、そのような就職先を得たとか。
私は蛙が好きだけれど、信楽焼の蛙を欲しいとも思わないし、ぬいぐるみもごめんだし、蛙イラストのシャツを着たいとも思わない。
これを打ち込んでいる今、外でアマガエルの鳴く声がする。
外は小雨が降っていて、こんなことをしていても、何か外でやらなければいけないことがあったはず、と焦ることがないので雨の日は心穏やか。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蛙の状況判断

2021年10月08日 08時53分53秒 | 身の回りの生き物のこと








獲物に近づくときのアマガエルは、がに股の脚でそろりそろりと動き、狙いすます一瞬の静止をした後、目標に飛びつく。
ぴょんぴょんと移動しているときに、こちらが背後からそろりと近づくと、状況把握に時間がかかるのか、じっと静止することが多い。
目は飛び出ていても背後を見ることはできず、振り返るほどの首はないので、そろりと近づいての斜め背後からなら、いくらでも撮れる。
ヤマアカガエルは追いかけられていると判断したら、跳んで飛んで逃げた後に藪などの隠れる場所へと頭隠して尻隠さずの時もあったりしながらとにかく潜り込む。
いつも見る、物置兼作業小屋近くのヤマアカガエルは、ひと蹴りで60センチほども跳ぶのに、着地場所を瞬時に正確に判断しているのか、転んだりはしない。
その点、アマガエルは葉っぱの上などの高いところを目指すので、状況判断が甘い時もある。
一番下の画像は、なぜか片脚の吸盤だけ元居た場所に残ってしまい、不自然な格好を保っていたもの。
この状況を楽しんでいるとしか思えないが、まさかそういうことではないだろうから、判断に迷いがあってのフリーズ状態なのだろうか。
吸盤を緩めるタイミングがずれて思うに任せないのか、面白いと思い私は瞬間を撮っただけで、その後どうなったか観察しないでしまったところが甘い。
最初の画像は、めったに見ることのない本物のスマートなアカガエルで、2番目は最近頻繁に見るヤマアカガエルの食料十分太り型。
3枚目は、今年栽培を失敗した蕎麦を刈り取っていたときに現れた、今年いちばんのオシャレ柄アマガエル。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモスも太陽を向く

2021年10月07日 07時21分00秒 | 身の周りの植物






咲きそろってきたコスモスの背景にススキが写るようにと構えたら、花が一定方向になっていて思うように撮れない。
西側から構えるなら、夕方まで待てばこちらを向いてくれるのかどうか、撮りっぱなしで確認はしていない。
一袋だけタネを買って春に蒔いたのだが、各色だいたい均一に混ざって咲くようにと配慮されているはずなのに、なんだか地味めだ。
集合の美しさを演出するためには、適当にばらまくだけではなく、丹精込めて育て上げなければいけないのか。
こちら、集合体より個性重視なので、なんでもそれなりに楽しめるのだけれど、それにしてもコスモスはこんななのかな、という感じ。
初めから色落ちして褪せているような花があったりして、この花には印をつけて、このタネだけ隔離保存し、来年は別のところに蒔いてみようか。
アイボリー系の花を撮ろうとしたら虫が居たので思い切り接写してよく観たのだけれど、蝿か虻か蜂か微妙な奴で調べても分からない。
花の中心に居なくて端に留まっているのはなぜなのか興味はわくけれど、変なのが撮れてしまったというだけで満足するしかない。
n>
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サツマイモ収穫と芋の手

2021年10月06日 08時28分28秒 | 農事








今月中でいいだろうなどと私はのんびり構えていたけれど、山のサツマイモを掘ってみたらちょうど良い大きさだったと農事の師が教えてくれた。
テレビによく出てくる幼稚園児や小学生の芋掘り体験では、こんな大きいのが採れたと嬉しそうに持つシーンが流される。
私も今までは、大きく育つまで待てば待つだけ得になるだろうと考えていた。
ところが、焼き芋にするのにちょうど良いサイズという言葉を聞くことが度々あり、師の言葉を借りれば『でっけやんは、あんまし女衆が喜ばねぇ』。
作る側としては、大きくはち切れそうな芋ができたら、それが醍醐味なのだけれど、最近は料理する立場を慮って掘り頃を決めなくてはいけない。
最初の画像はナルトキントキで、試し掘りのひと蔓分が女衆に喜ばれるサイズ揃いなので、これは掘り頃と蔓を半分以上切った。
そうして掘りすすめるとどうも早まった感がしないでもなく、なんだかもったいない。
別の場所のシルクスイートも試し掘りしてみると意外なことに、こちらは『大きすぎるか・・』というサイズが多い。
こちらも半分以上蔓を切って掘り上げてみると、途中から芋の形が蕪のように丸くなってきて、売る訳ではないけれど売り物にならない。
サツマイモは連作障害がなくて、肥えた土だと芋が生らずに葉だけ大きくなると聞いているので、毎年同じ場所に決めていて、土を柔らかくするため籾殻だけを混ぜ込んでいる。
ようやく手で掘れるくらいに柔らかくなってきたが、サツマイモが丸くなるってどういうことなのだろう、籾が悪さをするのか。
蔓を刈って、ただ処分するのは、芋の手として売られていたりするくらいなのに、もったいないと断腸の想い、てなことはないが、少しは食べてやらないとと考えた。
太めの枝茎を一握り採って、爪が入る柔らかさのところで折り、筋のような皮を剥くのに手間がかかる。
4センチほどに切り、きんぴらにしたら、まだ数度しかやったことのないきんぴらだけれど、うまくできた。
近所の同級生は、芋の手のきんぴらが大好きだというのだが、癖のない味で調味料の味だけの気がする。
フカヒレスープのフカヒレはそれ自体には全く味はなくて、調理方法がこれしかないという完成された調味料の味だというのと同じ感じがした。
うまかったので直ぐにぱくぱく食べてしまい撮らなかったのがまずいけれど、私は芋の手の調理に関しては完成の域に達したと思う。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミゾソバ(溝蕎麦)

2021年10月05日 08時47分17秒 | 身の周りの植物






うちの敷地内では、いつも陽が当たっている場所以外ならどこにでも生えている繁殖力の強い草。
草と見るか、花と見るかの違いはどこで別れるのだろう。
草刈り機をかける時も手で抜く時も、いかにも可憐という様子で咲いていると、少し残したり他の猛々しい草に向かったりするから、どこにでも咲いている草という感じになる。
飢饉の時には実を食料にしたそうだけれど、今は食べるという話を聞かないから、よほど実入りは悪いはず。
葉を茹でて食べてみたなどという記事も見つかったけれど、おいしくないらしい。
名前にある通り、葉の付き方や形がソバに似ている。
この葉がもう少し控えめで、花がもう少し大きくて、繁殖力がもう少し控えめで、もう少し全体にバランスがよかったら花壇に植えられるのに不遇なヤツという気がしないでもない。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いよいよ茸の季節か

2021年10月04日 08時50分20秒 | 養蜂








日中は暖かくても朝晩が寒くなり、昨夜は雨も降っていないのに屋根の夜露が小屋根に落ちる音がしていた。
もうすぐナラタケ(うちの地方ではアマンダレ)が、うちの敷地内にでるだろうと、今までグズグズ延ばしていた、その場所の草刈りをした。
その流れでシイタケはまだかとホダ木を見に行ったら、違うキノコが生えていた。
白い茸は多いけれど、サルノコシカケともヒラタケとも違うし、あまり見たことがない気がする。
下に小さいのがあって、サメの歯のように次のが控えていて、回転よく生え変わっていくのか、などと想像した。
昨日の今日で確認してみると、もうしおれ始めていて、虫も食いついていて、小さい方も変形して回転生え変わりとはならないようだ。
虫が食うくらいだから、毒キノコではないなどと考えたりはしない。
この茸も虫も検索して調べるほどの魅力に欠けるので調べない。
近くの地面には、いかにも美味しそうで、橙色がいかにも毒キノコっぽい、普通に茸きのこした美形が生えていたが撮るにとどめる。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤白黄色の花

2021年10月03日 01時12分12秒 | 身の周りの植物






先日、丘陵地で見つけた赤花のゲンノショウコを持ち帰って庭に植えたのだが、意外にも花が咲いた。
こういう強さも薬草の証拠かと思ったりする。
うちには白いゲンノショウコが今いたる所に咲いているので、どう住み分けをするのか、ピンクのものができたりするのか先々が楽しみだ。
この辺は保護されていたり希少種といった珍しい植物の話はあまり聞かないし、昔から入会権もあって、山で勝手に生えている山菜や野草は土地の所有がどうであろうが採った者勝ち。
夕方にはもう小さい花びらが散っていたから1日花なのだろうか。
種を買って蒔いたコスモスが咲き始めた。
ピンクや赤も咲くはずだけれど、一番に咲いたのが、地味目な白いコスモス。
撮ってみて、焦点の合ったのをしみじみ観ると、なかなかにおしゃれで品がある。
10mmもないほどの小さくて黄色い花は、乗用芝刈り機やエンジン草刈機で刈りとばすのを見逃して地べたに咲かせているオキザリス。
置き去りという言葉がいつも浮かぶ花だけれど、撮ってよくよく観ればレモンイエローが冷たく光ってクールだ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菜飯 その3

2021年10月02日 08時14分08秒 | 食べ方




活けるように水に浸けておくと、大根間引き菜もけっこう長持ちしている。
とは言え、茹でたようになってしまう葉も出てきて臭ってきた。
洗っている時点で半分近く捨てることになった。
それでも残った菜っ葉はすべて使い切ろうと、また菜飯を作ることにした。
今度は色合いも配慮して、人参も参加させる人なのだ私は。
右下はニンニク、右はまだ盛んに生っているインゲンで下は鳥胸肉。
ご飯は玄米だけれど、保温スイッチを切って冷めてしまったので、ご飯に混ぜるのではなく、ご飯を一番最後に入れて炒めた。
菜飯ではなくて炒飯(チャーハン)になるんじゃないか、それならバターも入れようかなどとも考えたが、何が良かったのか悪かったのかが分からなくなるので調味料控えめを心がける。
結局、おかずのようなものになり、餃子か春巻きの具にしたって良いような感じでもあり、でもまぁとりあえず間引き菜を使い切って、やれやれだ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする