今月中でいいだろうなどと私はのんびり構えていたけれど、山のサツマイモを掘ってみたらちょうど良い大きさだったと農事の師が教えてくれた。
テレビによく出てくる幼稚園児や小学生の芋掘り体験では、こんな大きいのが採れたと嬉しそうに持つシーンが流される。
私も今までは、大きく育つまで待てば待つだけ得になるだろうと考えていた。
ところが、焼き芋にするのにちょうど良いサイズという言葉を聞くことが度々あり、師の言葉を借りれば『でっけやんは、あんまし女衆が喜ばねぇ』。
作る側としては、大きくはち切れそうな芋ができたら、それが醍醐味なのだけれど、最近は料理する立場を慮って掘り頃を決めなくてはいけない。
最初の画像はナルトキントキで、試し掘りのひと蔓分が女衆に喜ばれるサイズ揃いなので、これは掘り頃と蔓を半分以上切った。
そうして掘りすすめるとどうも早まった感がしないでもなく、なんだかもったいない。
別の場所のシルクスイートも試し掘りしてみると意外なことに、こちらは『大きすぎるか・・』というサイズが多い。
こちらも半分以上蔓を切って掘り上げてみると、途中から芋の形が蕪のように丸くなってきて、売る訳ではないけれど売り物にならない。
サツマイモは連作障害がなくて、肥えた土だと芋が生らずに葉だけ大きくなると聞いているので、毎年同じ場所に決めていて、土を柔らかくするため籾殻だけを混ぜ込んでいる。
ようやく手で掘れるくらいに柔らかくなってきたが、サツマイモが丸くなるってどういうことなのだろう、籾が悪さをするのか。
蔓を刈って、ただ処分するのは、芋の手として売られていたりするくらいなのに、もったいないと断腸の想い、てなことはないが、少しは食べてやらないとと考えた。
太めの枝茎を一握り採って、爪が入る柔らかさのところで折り、筋のような皮を剥くのに手間がかかる。
4センチほどに切り、きんぴらにしたら、まだ数度しかやったことのないきんぴらだけれど、うまくできた。
近所の同級生は、芋の手のきんぴらが大好きだというのだが、癖のない味で調味料の味だけの気がする。
フカヒレスープのフカヒレはそれ自体には全く味はなくて、調理方法がこれしかないという完成された調味料の味だというのと同じ感じがした。
うまかったので直ぐにぱくぱく食べてしまい撮らなかったのがまずいけれど、私は芋の手の調理に関しては完成の域に達したと思う。