またやってしまった水分補給不足による病気。
まだあまり熱中症ということが言われていなかった頃に、医者も誤診して妙なことになり、2週間だったか20日間だったか肝臓の数値が正常になるまで入院したことがある。
今回は生まれ育った地元の、子供のころ怪我や蕁麻疹で何回もお世話になった内科医院に、当時の先生の息子先生から診てもらい、納得の診断を得た。
症状は、夕方6時ころに右脇腹が痛くなり、一番痛い時には脂汗を流して便座から身体が滑るほど汗をかいた(うちは便座カバーをしていない)。
そのような波が一晩に10数回から20回くらいあり、脂汗をかくほどの激痛も3,4回あった。
救急車を呼ぶか、タクシーを呼ぶか、農事の師の息子さんに連れていってもらうかなどを唸りながら考えた。
地元内科医院へ24時前に電話すると、宿直と思われる女性が、町の県立病院救急外来に行った方が良いのではないかとのこと。
そこで県立病院に電話して症状を伝えたら、当直が内科医ではないけれど、それでも良ければとのこと。
仕方ないから我慢してみるかということにしたが、何度も119番に電話することを考えた。
救急車に乗ったら、その県立病院か、隣の市の病院か、少し遠いが大学病院に属する基幹病院になるのかどうかなどは、痛みの中で考えが及ばなかった。
救急車を呼ぶほどになったら、ぎりぎり限界でのことだから、県立病院救急外来で、即外科手術のようなことになるのか、という嫌なイメージしか湧かない。
今までの友人知人の病気体験を想いだしてみると、痛みはずっと右脇腹なので盲腸か腸閉塞か胆石かと想像した。
腸閉塞での破裂が一番恐いが、波のある痛みは何だろうと思いつつ、陣痛はこんな感じかなどと痛みが和らいできた時には思った。
ゆるい(痛すぎてのたうち回るなんてできない)七転八倒の夜を過ごし、その間の痛みがかなりおさまっているときに、入院の用意をして荷物をまとめ、下着もすべて着替えた。
洗濯機も回し、台所シンクの洗い物も済ませ、燃えるゴミ(こちらでは燃やすゴミと言う)だしの日だったから夜明けとともにだして気がかりは消した。
波はありながらもピークは過ぎた感があったので、この際周りには知らせずに地元医院に自分の車で行こうと決めた。
入院となっても、広い駐車場はあるし、田舎のことだから退院するまで置いといても何ら問題はないだろう。
朝6時過ぎ、その医院にしょっちゅう掛かっている病弱な幼友達に何時から並んで順番を取るのかラインで聞いた。
そうしたら、何事かと即電話してきたので『昨日から腹が痛いから診てもらおうと思う』とだけ伝えて、ほどなく医院に向かった。
6時半に着いて、もう4人が待っていて5番だったことに少し驚き、縁石に腰掛けて並んで待ち、7時に番号札が配られ、『8時半までにまた来てください』とのこと。
そこで1時間半の待ち時間に、昨日のブログは書いてupした。
痛みで寝不足だったからスマホの目覚ましを掛け、痛みは夜だけ激しいのか、昼は鈍痛だけで終始するのか、診てもらう前に痛みがおさまるのは具合悪いじゃないかなどと駐車場の車中で考えた。
そうして、8時半になり、問診票に症状なども書き、5番目が来て、息子先生の問診と触診、それから採尿、採血、エコー、生理食塩水点滴、レントゲン、痛み止め薬投与、痛み止め座薬投与、またエコーをした。
様々な結果から導き出された診断が、6mmの尿路結石があり、右腎・水腎症というものだった。
検査途中の触診とエコーで、盲腸と胆石の線が消え、食中毒の疑いがあったらしいがそれも消え、脾臓も肝臓もだいじょうぶとのことだった。
水分補給の点滴中に痛みは治まってしまっていて、あの脂汗をかいた七転八倒の夜じゅうの時間はなんだったのだという気分。
いろいろと薬をもらって、朝食後なんて、今までの薬と合わせて10個の薬を呑むことになった。
結石が溶ける薬が効き、腫れている右腎の状態も改善したら良いけれど、悪化したら泌尿器科のある基幹病院に移ってもらうと言うのだ。
病院を後にし、前日の夕飯から何も食べていないので、回転寿司に行って仇をとった。
気分的に帳尻を合わせなくてはいけないからだが、別に食べ物に気をつけることはなくて、水分補給だけ十分にするようにとのことだったから。
それから、2Lペットボトルの水を1ダース買って帰ったが、帰りの運転中は少し痛んだが頓服を服用する必要もなく、がぶがぶ水分を摂って平常だ、
これを書いている、七転八倒後丸一日経った夜中1時半現在、全くあれがウソだったように体はなんともない。
寝て起きて見直してupするまでに何事もなければ、二日後の再診時には、『結石も溶けて腎臓の腫れも引いてるようだ』などと言われるのかも知れないと期待する。
とても個人的に貴重な教訓を得たわけで、とにかく水分を十分に摂ること、3度目は許されない、というより私自身あの痛みの不安はもう御免だ。