数年ぶりに雑誌「文芸春秋」を購入。
2011年1月号。特別企画は弔辞。
言葉には、嘘がつき物なのでしょうが、
それでも、弔辞を読めるのは幸せな気がします。
言葉の本来へと、立ち戻れる気分をかみしめられる。
そんな気がして読みます。
ここには、普段の会話では出くわさない、そんな言葉が並んでいて、
お別れなのに、祝祭的なはなやかさが加わり、
一回限りの、特別な言葉の凝縮感という肌触りがあります。
そういえば、昨日とりあげた、
谷沢永一著「司馬遼太郎」(PHP研究所・1996年)は、
谷沢永一氏の司馬遼太郎への追悼文が、まとまって一冊となったものでした。本の最後には山野博史作製の「著者による司馬遼太郎追悼関連執筆・発言一覧」が掲載されており、一覧のその数は34。
ブログ「古書の森日記」に、黒岩比佐子著「パンとペン」の書評が、そのつどどこに載ったかしらせてくださっております。とりあえず、私にも簡単に読めそうな雑誌を買ったのでした。文芸春秋1月号では「文芸春秋BOOK倶楽部」に高島俊男氏が書評を書いておりました。そして「サンデー毎日」12月19日特大号には、本誌連載陣による「今年の3冊」でも、お二人の方が、短いコメントとともに取り上げているのでした。うん。週刊誌を買うのもお久しぶり。週刊誌には「本誌執筆陣・3冊で振り返る2010年」のあとに、「心に残る弔辞」というが3ページほどで紹介されておりました(直木詩帆・小川直樹)。へ~。「死者に語る――弔辞の社会学」(ちくま新書)というのがあるんだ。機会があれば買いましょう。
ということで、文芸春秋の特別企画・弔辞は、取っておいて、機会があればパラパラとめくってみます。それにしても、雑誌による弔辞という企画って、あるようでなかったような。ないようであったような。
2011年1月号。特別企画は弔辞。
言葉には、嘘がつき物なのでしょうが、
それでも、弔辞を読めるのは幸せな気がします。
言葉の本来へと、立ち戻れる気分をかみしめられる。
そんな気がして読みます。
ここには、普段の会話では出くわさない、そんな言葉が並んでいて、
お別れなのに、祝祭的なはなやかさが加わり、
一回限りの、特別な言葉の凝縮感という肌触りがあります。
そういえば、昨日とりあげた、
谷沢永一著「司馬遼太郎」(PHP研究所・1996年)は、
谷沢永一氏の司馬遼太郎への追悼文が、まとまって一冊となったものでした。本の最後には山野博史作製の「著者による司馬遼太郎追悼関連執筆・発言一覧」が掲載されており、一覧のその数は34。
ブログ「古書の森日記」に、黒岩比佐子著「パンとペン」の書評が、そのつどどこに載ったかしらせてくださっております。とりあえず、私にも簡単に読めそうな雑誌を買ったのでした。文芸春秋1月号では「文芸春秋BOOK倶楽部」に高島俊男氏が書評を書いておりました。そして「サンデー毎日」12月19日特大号には、本誌連載陣による「今年の3冊」でも、お二人の方が、短いコメントとともに取り上げているのでした。うん。週刊誌を買うのもお久しぶり。週刊誌には「本誌執筆陣・3冊で振り返る2010年」のあとに、「心に残る弔辞」というが3ページほどで紹介されておりました(直木詩帆・小川直樹)。へ~。「死者に語る――弔辞の社会学」(ちくま新書)というのがあるんだ。機会があれば買いましょう。
ということで、文芸春秋の特別企画・弔辞は、取っておいて、機会があればパラパラとめくってみます。それにしても、雑誌による弔辞という企画って、あるようでなかったような。ないようであったような。