平凡社の宇野直人・江原正士著「漢詩を読む・2」を読みました。
漢詩というテキストの読み込みというよりも、時代の推移が漢詩にどのように現れているのかを、うんそうかと納得しながら読み進みました。
ただ単に、漢詩を探してページをめくってだけでも、いろいろとよい詩を探せるので、まずは手にとってぱらぱらとのぞいてみるのもよいかもしれません。
でも、読み通すと漢詩のながれにゾクゾクさせられるわけです。
さあ、どこからいきましょう。
宇野直人氏の「はじめに」で、
「唐詩の世界は言わば巨大な宝石箱で、蓋を開ければさまざまな珠玉の作品が現れ、まさに応接に暇がありません。この豊饒な世界を、江原正士氏との対話形式により、じっくりと周遊してゆきます」とあります。
順を追って読み進めば、その宝石が、ネックレスのようにつながっていることに気づかされるのでした。そんな思わぬ驚きの世界へ参入しているような気分。
とりあえずは、漢詩よりも漢詩人について、語られる箇所からみていきましょう。
江原】 中国の官僚詩人には、ひと言多い人がたくさんいますね。
宇野】 詩人と言えば、われわれには、『青白い文学青年』のイメージがありますが、中国の詩人は『世直しのために詩を書く』という意識を常に持っていました。ですから駱賓王のように終始、権力者に意見を言って怒りを買うのは、中国詩人の面目の典型かも知れません。最初の詩は牢獄の中で作ったもので、まさに則天武后に意見して嫌われ、投獄された時の作です。(p128)
また、こんな箇所も漢詩人のイメージをつかむのに助けとなります。
江原】 ・・・・中国の詩人は官職に就いている人が多い。すると詩人を職業としているわけではないんですよね?
宇野】 ええ。詩人という職業はなかったのですね。九九パーセントが官吏、つまりお役人でした。われわれにはピンと来ませんが、中国ではそれが普通でした。お役人といえば仕事の半分が接待のようなもので、宮廷に仕えていると折々に宴会などの行事があります。歌、踊り、酒の宴会を一層盛り上げるためのパフォーマンスとして、その場で詩を作り、壁に書いて筆跡のうまさを披露したり、控えている歌姫たちが楽器の伴奏で歌ったりしました。(p149)
これが、南北朝時代から唐の安禄山の乱。そして唐で亡くなった阿倍仲麻呂の頃までが、この本で取り扱われている時代の流れです。この辺で、ちょいと漢詩を引用。私にはどうして漢詩には酒の詩が多いのか納得しながら読みました。ということで酒に関する、この詩。
酔中の作 張説(ちょうえつ)
酔後 まさに楽しみを知り
いよいよ いまだ酔はざる時に勝る
容(かたち)を動かせば 皆これ舞(まひ)
語を出だせば 総て詩と成る
江原】 なんだか気持ちよさそうに酔っていますね。
宇野】 酔い心地の妙諦をぴたりと言い当てている、よくぞ言ってくれた、という感じ(笑)
江原】 ライブが進んでいる中で、興が乗って書いたようなものですか。
宇野】 はい。前半二句、「酒に酔って初めて、酒に酔う楽しみがわかる」、これそのとおりですね(笑)。「まさに」は「それではじめて」といった感じです。「飲めば飲むほど、正気の時よりも結構な気分になる」。ああ楽しい、というわけです。
江原】 わかります(笑)。
宇野】 後半二句は対句で、酒の効用、功徳をうまく言い表しています。「酔い心地の中で体を動かせば、すべて踊りになる。またそういうときに言葉を発すれば、皆そのまま詩になる」。動いたり話したりしている主体、本人もそうですし、それを見聞きする人もそうだと言いたいのでしょうか。
江原】 皆を巻き込んでいますね。 (p184~185)
こうした二人の対話が漢詩理解を助けて、難なく漢詩の時代の流れに身をひたしている気分になれるのでした。あ~。酒の漢詩はかずかずあれど、これ以上深入りするのは、読んでいる私のほうの体にもよくない。つい漢詩人にでもなったつもりで、飲みたくなるじゃありませんか。
でも、この本の最後の方(p428)には、ちゃんと注意のための、こんな記述もあるのでした。ということで、引用ばかりになりましたが、最後は、この対話でおわりましょう。
それは有名な杜甫の「衛八処士に贈る」の話題になった箇所でした。
宇野】 ・・・・続いて「十杯飲んだけれど私は酔えない、君の情けが身にしみる」なんて言っていました。李白なら、そこで十杯と言わず二、三十杯飲んで大いに盛り上がりますよね。杜甫の場合、「酒を愛する」というのとはちょっと違うようです。
江原】 杜甫はお酒で体を悪くしていますよね?
宇野】 しじゅう飲んでいたことは飲んでいたんですね。一人酒で、詩を作る時の頭の潤滑油にしていたのかも知れません。・・中国の詩人にはそういう習慣がありまして、「詩酒」という言葉があるくらいです。詩を作るために酒を飲む、詩句が浮かばなければまた酒を飲む。二つは切っても切れません。
江原】 へえー。じゃあ杜甫はそのように生きたと・・・。
宇野】 そのようです。晩年には、「最近ドクターストップがかかって、好きな濁り酒も飲めない」と詩にも詠んでいますから、習慣的に飲んでいたことは確かでしょう。(p429)
ドクターストップとはどんな様子だったのでしょう。
江原】 晩年の杜甫は、身体に相当のダメージがありましたよね。
宇野】 ええ、・・・若い頃からの持病、肺病が悪くなっていましたし、中風の発作も出ていた、さらに耳や目も悪くなりかけていたうえに、糖尿病もあった・・・。(p440)
ここで、終らせるのは、この本に申し訳ないのですが、
まあ、飲み会が、とかく多くなる時期には、こういう終り方で(笑)。
おあとは、読んでのお楽しみ。
漢詩というテキストの読み込みというよりも、時代の推移が漢詩にどのように現れているのかを、うんそうかと納得しながら読み進みました。
ただ単に、漢詩を探してページをめくってだけでも、いろいろとよい詩を探せるので、まずは手にとってぱらぱらとのぞいてみるのもよいかもしれません。
でも、読み通すと漢詩のながれにゾクゾクさせられるわけです。
さあ、どこからいきましょう。
宇野直人氏の「はじめに」で、
「唐詩の世界は言わば巨大な宝石箱で、蓋を開ければさまざまな珠玉の作品が現れ、まさに応接に暇がありません。この豊饒な世界を、江原正士氏との対話形式により、じっくりと周遊してゆきます」とあります。
順を追って読み進めば、その宝石が、ネックレスのようにつながっていることに気づかされるのでした。そんな思わぬ驚きの世界へ参入しているような気分。
とりあえずは、漢詩よりも漢詩人について、語られる箇所からみていきましょう。
江原】 中国の官僚詩人には、ひと言多い人がたくさんいますね。
宇野】 詩人と言えば、われわれには、『青白い文学青年』のイメージがありますが、中国の詩人は『世直しのために詩を書く』という意識を常に持っていました。ですから駱賓王のように終始、権力者に意見を言って怒りを買うのは、中国詩人の面目の典型かも知れません。最初の詩は牢獄の中で作ったもので、まさに則天武后に意見して嫌われ、投獄された時の作です。(p128)
また、こんな箇所も漢詩人のイメージをつかむのに助けとなります。
江原】 ・・・・中国の詩人は官職に就いている人が多い。すると詩人を職業としているわけではないんですよね?
宇野】 ええ。詩人という職業はなかったのですね。九九パーセントが官吏、つまりお役人でした。われわれにはピンと来ませんが、中国ではそれが普通でした。お役人といえば仕事の半分が接待のようなもので、宮廷に仕えていると折々に宴会などの行事があります。歌、踊り、酒の宴会を一層盛り上げるためのパフォーマンスとして、その場で詩を作り、壁に書いて筆跡のうまさを披露したり、控えている歌姫たちが楽器の伴奏で歌ったりしました。(p149)
これが、南北朝時代から唐の安禄山の乱。そして唐で亡くなった阿倍仲麻呂の頃までが、この本で取り扱われている時代の流れです。この辺で、ちょいと漢詩を引用。私にはどうして漢詩には酒の詩が多いのか納得しながら読みました。ということで酒に関する、この詩。
酔中の作 張説(ちょうえつ)
酔後 まさに楽しみを知り
いよいよ いまだ酔はざる時に勝る
容(かたち)を動かせば 皆これ舞(まひ)
語を出だせば 総て詩と成る
江原】 なんだか気持ちよさそうに酔っていますね。
宇野】 酔い心地の妙諦をぴたりと言い当てている、よくぞ言ってくれた、という感じ(笑)
江原】 ライブが進んでいる中で、興が乗って書いたようなものですか。
宇野】 はい。前半二句、「酒に酔って初めて、酒に酔う楽しみがわかる」、これそのとおりですね(笑)。「まさに」は「それではじめて」といった感じです。「飲めば飲むほど、正気の時よりも結構な気分になる」。ああ楽しい、というわけです。
江原】 わかります(笑)。
宇野】 後半二句は対句で、酒の効用、功徳をうまく言い表しています。「酔い心地の中で体を動かせば、すべて踊りになる。またそういうときに言葉を発すれば、皆そのまま詩になる」。動いたり話したりしている主体、本人もそうですし、それを見聞きする人もそうだと言いたいのでしょうか。
江原】 皆を巻き込んでいますね。 (p184~185)
こうした二人の対話が漢詩理解を助けて、難なく漢詩の時代の流れに身をひたしている気分になれるのでした。あ~。酒の漢詩はかずかずあれど、これ以上深入りするのは、読んでいる私のほうの体にもよくない。つい漢詩人にでもなったつもりで、飲みたくなるじゃありませんか。
でも、この本の最後の方(p428)には、ちゃんと注意のための、こんな記述もあるのでした。ということで、引用ばかりになりましたが、最後は、この対話でおわりましょう。
それは有名な杜甫の「衛八処士に贈る」の話題になった箇所でした。
宇野】 ・・・・続いて「十杯飲んだけれど私は酔えない、君の情けが身にしみる」なんて言っていました。李白なら、そこで十杯と言わず二、三十杯飲んで大いに盛り上がりますよね。杜甫の場合、「酒を愛する」というのとはちょっと違うようです。
江原】 杜甫はお酒で体を悪くしていますよね?
宇野】 しじゅう飲んでいたことは飲んでいたんですね。一人酒で、詩を作る時の頭の潤滑油にしていたのかも知れません。・・中国の詩人にはそういう習慣がありまして、「詩酒」という言葉があるくらいです。詩を作るために酒を飲む、詩句が浮かばなければまた酒を飲む。二つは切っても切れません。
江原】 へえー。じゃあ杜甫はそのように生きたと・・・。
宇野】 そのようです。晩年には、「最近ドクターストップがかかって、好きな濁り酒も飲めない」と詩にも詠んでいますから、習慣的に飲んでいたことは確かでしょう。(p429)
ドクターストップとはどんな様子だったのでしょう。
江原】 晩年の杜甫は、身体に相当のダメージがありましたよね。
宇野】 ええ、・・・若い頃からの持病、肺病が悪くなっていましたし、中風の発作も出ていた、さらに耳や目も悪くなりかけていたうえに、糖尿病もあった・・・。(p440)
ここで、終らせるのは、この本に申し訳ないのですが、
まあ、飲み会が、とかく多くなる時期には、こういう終り方で(笑)。
おあとは、読んでのお楽しみ。