和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

比佐子よ。ヒストリー・オーサーよ。

2010-12-03 | 短文紹介
思い出して、兄の家で読売の古新聞をひっくりかえして、
2010年11月18日の文化欄をページごと失敬してきました。

片山杜秀氏の文「黒岩比佐子さんを悼む」を読んでみたかった。
片山氏は慶応准教授とあります。
ここで、ちょっと話がそれますが、
黒岩さんも慶応の国文科。
慶応大学出身の方でも、どなたでも、
慶応の著作家の系譜でも書いてくれないかなあ。
たとえば「現代慶応出身文筆家便覧」でもいいし、
そんな本がありますか。手ごろな値段なら買います(笑)。

 江藤淳
 福田和也
 林望
 草森紳一
 山村修
 黒岩比佐子
 松井高志
 ・・・・・
 
閑話休題。
片山杜秀氏は、黒岩比佐子氏とおなじ読売新聞読書委員だったらしいですね。ということで、片山氏の追悼文の最初は

「本に溺れていたい人だった。」とはじまっております。
あれ、けっこう突き放して冷静に追悼をはじまているなあ、
という書き出しのように思えました。
中ほどにこうあります。

「日本にはアカデミズムと一線を画した在野の史家の伝統がある。徳富蘇峰とか白柳秀湖(しらやなぎしゅうこ)とか。黒岩さんはノンフィクションライターの域を脱し、そういう山脈に連なりはじめていた。」

そういえば、ブログ「古書の森日記」に、むのたけじ氏の弔辞が掲載されておりました。その最後の箇所が思い浮かびます。


「 あなたの仕事を読んできて、私は思うのです。あなたはカタカナでいえば、ヒストリー・オーサー、日本語なら歴史の著述家。そういう肩書きにあらためなさい、と言ったら、あなたは「クククク」と笑っていましたね。

比佐子よ、ヒストリー・オーサーよ。
私は、安らかに眠れとはいいません。

身体は安らかな姿勢で休めてもいいいが、頭では、現世の人間どもの難問について考えつづけてください。あくせくする我々の姿をみつめながら、あなたのいる世界から苦言を送り続け、励ましてください。 」

もどって、片山氏の追悼文の最後。

「・・特に『「食道楽」の人 村井弦斎』と堺利彦を扱った遺著『パンとペン』は傑作です。その文体から、われわれはあなたの優しい目と声を思い出すでしょう。『パンとペン』、よくぞ完成させましたね。おやすみなさい。」


追悼文に書かれているエピソードも、忘れがたい。


「本紙の読書面の掲載本を決める委員会。黒岩さんは選んだ本のメモを丁寧に取り、プレゼンテーションに備える。芸事のお稽古のようにひたむき。まわりの空気が凛とした。」

「観劇中の挙動には人柄が自ずと表れるが、黒岩さんは行儀がよい。まさにお嬢さま。・・・」



遺著のところどころにさりげなく現れる黒岩さんの書きぶりに、
あらてめて、そのエピソードをダブらせてみたりします。
そういえば、むのたけじ氏の弔辞には、この言葉もあったのでした。


「 堺利彦はじめ、あなたの十冊の本には、黒岩さんの生き方がきちんと現れています。
ジャーナリストの世界に、新しい命のタネを蒔いてくれました。これから、仲間が、あなたに続いて立派な仕事をすることになるでしょう。 」




コメント
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