私は、昨年の11月頃に外山滋比古著「思考の整理学」の感想を書いておりました。うん。それから、興味をもって、古本を買っておりました。その際、外山氏は新刊も出されているので、新刊が出ると、つい迷います。これが古本になるまで待とう。と思うわけです。たとえば、外山滋比古著「第四人称」(みすず書房)が2010年6月に新刊として出た際に、う~ん。これは買わずにおこうと思ったのでした。
つい最近、古本検索をして、その「第四人称」を何気なくも見つけました。新刊定価が1890円。古本が送料共で1010円。さっそく購入して、昨日手にしました。
まったく、外山氏の本を最近は読んでいないなあ、と思い出しながらの購入。ところで、外山氏の文を読んで、つねづね思うことは。気長に思考を寝かせておく効用を、ご自身が理解し追体験されている、その見事さにあるのではないか。
さてっと、読む前に(なんて、私はいつ読むのやら?)、まずはあとがきだけでも引用しておきましょう。こんな箇所がありました。
「・・しかし、それ以上考えることもなく、問題から離れ、いつとはなしに、忘れてしまっていた。それからでも、もう四十年になる。なにがきっかけであったか記憶にないが・・・第四人称と名づければよいと思いついた。さっそく私的な勉強会で披露してみたが、反応は冷ややかであったから、また頓挫したと感じて、お蔵入りとなったのである。
それがどういう風の吹きまわしか、どうしても第四人称論をまとめようと思い立った。といってもすぐすべり出したわけでなく、難航、休み休み書きつづけたエッセイがやっと本になる分量に達したのは一昨年である。しかし、すぐ出版に踏み切る勇気に欠けて、草稿はそのまま眠っていた。それがまた、気が変わって、発表しようと考えたのが本書である。・・・」
お蔵入りという言葉から、
何か、外山滋比古氏の本を読んでいると、古本も、新刊も垣根がないような錯覚を抱くのでした。ということで、新刊を探すように外山氏の古本の文庫を楽しんで注文していた今年一年。スラスラ読めるエッセイを楽しみに購入したのですが、その割に読んでない(笑)。
つい最近、古本検索をして、その「第四人称」を何気なくも見つけました。新刊定価が1890円。古本が送料共で1010円。さっそく購入して、昨日手にしました。
まったく、外山氏の本を最近は読んでいないなあ、と思い出しながらの購入。ところで、外山氏の文を読んで、つねづね思うことは。気長に思考を寝かせておく効用を、ご自身が理解し追体験されている、その見事さにあるのではないか。
さてっと、読む前に(なんて、私はいつ読むのやら?)、まずはあとがきだけでも引用しておきましょう。こんな箇所がありました。
「・・しかし、それ以上考えることもなく、問題から離れ、いつとはなしに、忘れてしまっていた。それからでも、もう四十年になる。なにがきっかけであったか記憶にないが・・・第四人称と名づければよいと思いついた。さっそく私的な勉強会で披露してみたが、反応は冷ややかであったから、また頓挫したと感じて、お蔵入りとなったのである。
それがどういう風の吹きまわしか、どうしても第四人称論をまとめようと思い立った。といってもすぐすべり出したわけでなく、難航、休み休み書きつづけたエッセイがやっと本になる分量に達したのは一昨年である。しかし、すぐ出版に踏み切る勇気に欠けて、草稿はそのまま眠っていた。それがまた、気が変わって、発表しようと考えたのが本書である。・・・」
お蔵入りという言葉から、
何か、外山滋比古氏の本を読んでいると、古本も、新刊も垣根がないような錯覚を抱くのでした。ということで、新刊を探すように外山氏の古本の文庫を楽しんで注文していた今年一年。スラスラ読めるエッセイを楽しみに購入したのですが、その割に読んでない(笑)。