和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

な~んにも芸がないでねぇけ。

2012-04-05 | 詩歌
佐藤フミ子著「つなみ風花胡桃の花穂」(凱風社)という本を昨日読みました。
陸前高田の津波被害にあわれた佐藤フミ子さんの歌集です。
短歌を五行にわけて、ゆったりと載せてあります。

佐藤フミ子さんは1928年(昭和3年)9月生まれ。
編集部でまとめた履歴が本の最後に掲載されておりましたので、
そこからすこし引用。

「戦後の暮らしのなかで家業のかたわら、毎月『短歌教室』に通って短歌を詠んでいた。これは同級生から『ごはん食べて、寝て、起きて、死んでしまったら、な~んにも芸がないでねぇけ』と言われて始めたもので、30年くらいずっとそのときどきの思いを書き留めてきた。読売新聞や朝日新聞の『歌壇』にも投稿し、読売新聞には50回くらいは掲載されたが、そうした掲載紙もすべて、今回の津波で流されてしまった。」(p91)

それでは、83歳の佐藤フミ子さんの短歌を数首引用してみます。

『早ぐコ』
津波がくるぞと
老いし夫(つま)
軽トラに乗る
何も持たずに


ひっきりなしに
余震のつづく
其の中を
公民館に
いっきに逃げる

公民館もだめだ
もっと上にとふ
男の叫びに
足のがたつく

一つ取れと
オニギリの箱が
運ばれぬ
細き海苔巾
梅干もなく

パイプ組み
シートの湯桶
十日目の
自衛隊の風呂に
皆手を合わす

息(こ)も家も
波にさらはれ
避難所に
雑炊(ぞうすい)すする
鼻水啜(すす)る

観るかぎりの
瓦礫の続く
その中に
吾が息の姿
探す親かな

大波に
呑まれて消えし
息の為に
白隠禅師の
和讃誦(ず)すかな

避難所に
綿入半天
ベストなど
差入れのあり
難民は哭(な)く

今朝も降る
瓦礫の山に
避難所に
無情の雪に
心まで冷ゆ

悲しみに
くれてる筈が
復興と
働く姿に
頭が下がる

あればある
なければ無いの
暮しかな

ハエ叩く
音の仮設や
右ひだり




うん。読めてよかったと思っております。
佐藤フミ子さんの写真も、被災地の写真も、ところどころにはさまれております。「大学ノートにびっしり書き込まれた短歌を見せてくれた」とノートを手にするフミ子さんの写真が印象に残ります。

そういえば、この温かい手作りのような一冊が、
どうしてできたのかを「まえがき」で森住卓さんが書いております。
そこから、この箇所を引用。

「七月、JVJA写真集『3・11メルトダウン 大津波と核汚染の現場から」(凱風社)が完成した。その中に佐藤フミ子さんと夫の貞美さんの写真を使わせていただいたので、お礼に同書を献本した。その後一月ほどして、佐藤フミ子さんから同じ日付の消印で二枚のはがきが届いた。一枚には、写真集へのお礼とその後の暮らしぶりが書かれていた。息子を亡くした老夫婦の不自由な避難所の暮らしが目に見えるようで、その後の暮らしを追い続けなかった申し訳なさがこみ上げてきた。もう一枚のはがきには・・・・『うた』が十五首、エンピツで縦にびっしりと書かれていた。佐藤フミ子さんの悔しさと無念さ、当時の情景やそのときの空気や臭いまでが感じられる、臨場感に溢れた『うた』に衝撃を受けた。・・・」(p11)

こういう一冊をつくってくださった方々に、
ありがとうを言いたくなります。
コメント (2)
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