佐藤フミ子詩集「つなみ風花胡桃の花穂」(凱風社)に掲載された写真のなかに、「一人暮らしになった佐藤フミ子さん。大学ノートにびっしり書き込まれた短歌を見せてくれた。(陸前高田市小友町の仮設住宅、2011年11月28日、森住卓撮影)」と脇書きがある一枚があります。
その印象がつよかったせいか、
今日(4月8日)の産経抄に掲載されている河野裕子さんのエピソードが目をひきました。「2年前の夏、64歳で世を去った歌人の河野裕子さん」です。
「河野さんは大学卒業後、しばらく滋賀県の中学校で教諭を務めている。小欄で河野さんをしのんだとき、当時の教え子から手紙が届いた。元気な先生にたくさん短歌を作らされたと、思い出を語った。『1年に千首くらい、歌の出来栄えは気にせんと、ばーっと作るんです。作っているうちに、言葉が言葉を引っ張ってくるようになったら、しめたもの』。こんなふうに・・・・」
さてっと、
昨日パラリと序講を読みはじめた「聖典講義 白隠禅師座禅和讃」なのですが、
これラジオ放送での講義なのでした。わかりやすいのが、なにより、ありがたいなあ。その序講に、こうあります(うん。ほんの50ページほどしか読んでおりません)。
「吾人は今日お互い学問研究や自己修養に志しては居りますけれども、併しどうも真剣味が欠けて居る。したがって小成に安んじ小智に甘んじて、口には粉骨砕身と称しながら真の気概を欠いている。・・・見る、聞く、知るのみでなく、安んずる所を見出し掴まなくてはならない。」
う~ん。「安んずる所を見出し」か。
その印象がつよかったせいか、
今日(4月8日)の産経抄に掲載されている河野裕子さんのエピソードが目をひきました。「2年前の夏、64歳で世を去った歌人の河野裕子さん」です。
「河野さんは大学卒業後、しばらく滋賀県の中学校で教諭を務めている。小欄で河野さんをしのんだとき、当時の教え子から手紙が届いた。元気な先生にたくさん短歌を作らされたと、思い出を語った。『1年に千首くらい、歌の出来栄えは気にせんと、ばーっと作るんです。作っているうちに、言葉が言葉を引っ張ってくるようになったら、しめたもの』。こんなふうに・・・・」
さてっと、
昨日パラリと序講を読みはじめた「聖典講義 白隠禅師座禅和讃」なのですが、
これラジオ放送での講義なのでした。わかりやすいのが、なにより、ありがたいなあ。その序講に、こうあります(うん。ほんの50ページほどしか読んでおりません)。
「吾人は今日お互い学問研究や自己修養に志しては居りますけれども、併しどうも真剣味が欠けて居る。したがって小成に安んじ小智に甘んじて、口には粉骨砕身と称しながら真の気概を欠いている。・・・見る、聞く、知るのみでなく、安んずる所を見出し掴まなくてはならない。」
う~ん。「安んずる所を見出し」か。