産経新聞2012年4月2日。
今日の新聞です。
石原慎太郎のコラム「日本よ」には、
そばで接した天皇陛下のお姿が
記録されております。
うん。読んだ後に思い浮かんだのは、
どなたかが、書かれることを、
私はのぞんでいたのだな。
ということでした。
ここには、読みたかった内容が、
記録されておりました。
それは、大震災の19日後に
「陛下が東京都足立区の東京武道館に避難してきている福島県民を見舞われた時のこと」から具体的に語られておりました。その際の陛下と石原氏のやりとりが、ここに書かれておりました。
「・・控え室で過ごされることになってその間私は同席し、発災後間もなくヘリで飛んで視察に赴いた福島、宮城、岩手の各都市の惨状を報告し、すでにかつて他の病気での手術を受けておられる陛下にはとても無理としても、若く元気なご子息の両陛下を名代として出来るだけ早く現地に見舞いに差し向けられてはいかがと僭越にも建言させていただいた。
その間皇后陛下は一々頷いて私の言葉を聞いておられたが、陛下はなぜかただ黙ったまま表情も見せずに聞いておられた。
やがて時が来てお立ちとなり、先行して部屋を出てお見送りのために玄関口に立っていた私の所へ何故か突然陛下がつかつかと歩み寄られ、小声で、しかしはっきりと、『東北へは私が自分でいきます』といわれたものだった。」
さて、ここから2面へと続いておりました。
被災県へと出かけた天皇皇后両陛下のお姿、その後の御病状の推移は、皆さん何度かテレビで御覧になったでしょうから、ここでは省きます。今年の3月11日、東京の国立劇場で行われた東日本大震災の犠牲者追悼式典に臨席した石原慎太郎氏は、どのような思いで陛下を見つめておられたか、その箇所を引用しておきます。
「追悼の記念式典に来臨された陛下はやはり前よりも痩せられてみえたが、歩く御姿はむしろ普段よりも凛として見うけられた。式辞を述べられ退席される陛下に出来れば私は、二階正面から陛下の御健勝を祈って天皇陛下万歳を叫びたかったが、なぜか司会者は天皇のご退席は着席のままお見送りするようにと案内していたのでそれはかなわなかった。
一国の元首を兵士に例えるのは非礼かも知れぬが、しかし陛下はその身の危うさを顧みることなく見事な君主として、そして見事な男として、その責を果たされたものだと思う。・・・・・」
どれも、私などには、テレビではうかがい知れなかったことで、
書かれなければ、知りえないことでした。
そういえば、
青山やすし著「東京都副知事ノート」(講談社+α文庫)に
こんな箇所があったなあ。
「『石原さんには暴言が多いから、副知事は大変でしょう』
とよく言われた。
私は、そうは思わなかった。
『いや、ビーン・ボールの投げ方がうまいだけですよ。時にはデッド・ボールになるけど』と答えたら、週刊誌にそう書かれた。
『下手に世論調査を参考にするより、石原さんにどう感じるかを聞いた方がずっと参考になる』と答えたら、これも書かれた。
どちらも、私の本音だ。」(p249~250)
今日の新聞です。
石原慎太郎のコラム「日本よ」には、
そばで接した天皇陛下のお姿が
記録されております。
うん。読んだ後に思い浮かんだのは、
どなたかが、書かれることを、
私はのぞんでいたのだな。
ということでした。
ここには、読みたかった内容が、
記録されておりました。
それは、大震災の19日後に
「陛下が東京都足立区の東京武道館に避難してきている福島県民を見舞われた時のこと」から具体的に語られておりました。その際の陛下と石原氏のやりとりが、ここに書かれておりました。
「・・控え室で過ごされることになってその間私は同席し、発災後間もなくヘリで飛んで視察に赴いた福島、宮城、岩手の各都市の惨状を報告し、すでにかつて他の病気での手術を受けておられる陛下にはとても無理としても、若く元気なご子息の両陛下を名代として出来るだけ早く現地に見舞いに差し向けられてはいかがと僭越にも建言させていただいた。
その間皇后陛下は一々頷いて私の言葉を聞いておられたが、陛下はなぜかただ黙ったまま表情も見せずに聞いておられた。
やがて時が来てお立ちとなり、先行して部屋を出てお見送りのために玄関口に立っていた私の所へ何故か突然陛下がつかつかと歩み寄られ、小声で、しかしはっきりと、『東北へは私が自分でいきます』といわれたものだった。」
さて、ここから2面へと続いておりました。
被災県へと出かけた天皇皇后両陛下のお姿、その後の御病状の推移は、皆さん何度かテレビで御覧になったでしょうから、ここでは省きます。今年の3月11日、東京の国立劇場で行われた東日本大震災の犠牲者追悼式典に臨席した石原慎太郎氏は、どのような思いで陛下を見つめておられたか、その箇所を引用しておきます。
「追悼の記念式典に来臨された陛下はやはり前よりも痩せられてみえたが、歩く御姿はむしろ普段よりも凛として見うけられた。式辞を述べられ退席される陛下に出来れば私は、二階正面から陛下の御健勝を祈って天皇陛下万歳を叫びたかったが、なぜか司会者は天皇のご退席は着席のままお見送りするようにと案内していたのでそれはかなわなかった。
一国の元首を兵士に例えるのは非礼かも知れぬが、しかし陛下はその身の危うさを顧みることなく見事な君主として、そして見事な男として、その責を果たされたものだと思う。・・・・・」
どれも、私などには、テレビではうかがい知れなかったことで、
書かれなければ、知りえないことでした。
そういえば、
青山やすし著「東京都副知事ノート」(講談社+α文庫)に
こんな箇所があったなあ。
「『石原さんには暴言が多いから、副知事は大変でしょう』
とよく言われた。
私は、そうは思わなかった。
『いや、ビーン・ボールの投げ方がうまいだけですよ。時にはデッド・ボールになるけど』と答えたら、週刊誌にそう書かれた。
『下手に世論調査を参考にするより、石原さんにどう感じるかを聞いた方がずっと参考になる』と答えたら、これも書かれた。
どちらも、私の本音だ。」(p249~250)