日下公人著「思考力の磨き方」(PHP研究所)
曽野綾子著「人間の基本」(新潮新書)
をつづけて読みました。
うん。お話を傾聴するように読みました。
日下さんの本にこうあります。
「・・日本のマンガの程度は想像を絶するほど高い。
その一方で、昔と比べて低くなったのが日本人の
ヒアリング・リテラシー(聞く力)である。」(p55)
ところで、
3・11の後に、皆さんは、誰かの言葉を聞きたいと、
思ったのじゃないでしょうか?
政治家の言葉に満足できない方々は、
どなたの言葉を聞けばよいのか?
とまどっておられる。
ちなみに、
曽野綾子さんのこの新書の最後のページに
こうありました。
「これからは政治家も『安心して暮らせる』を
『いざとなったら』に置き換えて、
人々に訴えるべきだと思います。・・・・
常時ばかりではなく、非常時にも対応できる人間
であるために、その基本となるのは
一人ひとりの人生体験しかありません。
強烈で濃厚で濃密な体験、
それを支える道徳という名の人間性の基本、
やはりそれらがその人間を作り上げるのです。」(p191)
うん。この新書の最終ページだけ引用しても
何にもならないでしょうが(笑)、
3・11の後「聞く力」を試すのに、
よい一冊ではないかと、
思いながら読ませていただきました。
それにしても、
曽野綾子さんのこの本を読んでも、
たとえば、方丈記とかの日本の古典が登場せずに、
西洋的な知性へと、さそわれるのが、
ちょっと、私に不満が残ります(笑)。
たとえば、
「かつての漢文素読や詩の暗誦は、繰り返し強制的に覚えさせられたからこそ、ある瞬間にぱっと口を突いて出てきます。」(p132)とあるのですが、この新書には、漢文や日本の古典がぱっと出てきてはいない。うん。ないものねだりしてはいけませんね(笑)。
うん。それでも、たとえば、ユーモアというテーマなら、
世界共通の広がりを感じさせてもらえます。
次のページには、こうありました。
「国会での質問や答弁にせよ、会社の中の意見の対立にせよ、分野や年代性別を問わず社会全体から個性とユーモアが消えて、つまらない理屈ばかりになって来ましたね。・・そもそもあいての何かを批判する時は、翻って自分の中にも同じものが含まれていることを理解する必要があるのです。それが自分を笑いものにできるユーモアに通じるんですから。ユーモアとは人間の真実をとらえた瞬間の笑いであって、人間はあまりに本当のことを言われると、つい笑ってしまうものです。その伝統は川柳などにかろうじて生きていますが、最近はお笑い芸人の馬鹿話と勘違いされてしまっています。真実を見る、というのはまず自分をきっちり見ることです。自分を見つめていればこそユーモアが生れるのに、そうならないのは幼稚な証拠、つまり真実を見抜く力もないし、人間というものに対するごく一般的な恐れや同感のない証拠です。」
ここに、「お笑い芸人」とある。
そういえば、日下公人「思考力の磨き方」に、
「いまや『東大ブランド』が通用するのはタレントの世界ぐらいである。テレビでは『東大出身タレント』『京大出身タレント』が、ただそれだけでもてはやされているが、『あいつは東大出だから』といった発想で仕事を任せているような企業はほとんどないだろう。もしあれば、その企業の将来は期待できない。」(p71)
う~ん。
これは、ユーモアというのでしょうか。
真実を見抜く力というのでしょうか。
どっちも同じか(笑)。
2冊ともに、共通して、テレビへの言及に
切れ味があり、テレビをダラダラ見ている私は、
耳が痛いのでした。
というか、傾聴する、
言葉のひっかかりとなっております。
曽野綾子著「人間の基本」(新潮新書)
をつづけて読みました。
うん。お話を傾聴するように読みました。
日下さんの本にこうあります。
「・・日本のマンガの程度は想像を絶するほど高い。
その一方で、昔と比べて低くなったのが日本人の
ヒアリング・リテラシー(聞く力)である。」(p55)
ところで、
3・11の後に、皆さんは、誰かの言葉を聞きたいと、
思ったのじゃないでしょうか?
政治家の言葉に満足できない方々は、
どなたの言葉を聞けばよいのか?
とまどっておられる。
ちなみに、
曽野綾子さんのこの新書の最後のページに
こうありました。
「これからは政治家も『安心して暮らせる』を
『いざとなったら』に置き換えて、
人々に訴えるべきだと思います。・・・・
常時ばかりではなく、非常時にも対応できる人間
であるために、その基本となるのは
一人ひとりの人生体験しかありません。
強烈で濃厚で濃密な体験、
それを支える道徳という名の人間性の基本、
やはりそれらがその人間を作り上げるのです。」(p191)
うん。この新書の最終ページだけ引用しても
何にもならないでしょうが(笑)、
3・11の後「聞く力」を試すのに、
よい一冊ではないかと、
思いながら読ませていただきました。
それにしても、
曽野綾子さんのこの本を読んでも、
たとえば、方丈記とかの日本の古典が登場せずに、
西洋的な知性へと、さそわれるのが、
ちょっと、私に不満が残ります(笑)。
たとえば、
「かつての漢文素読や詩の暗誦は、繰り返し強制的に覚えさせられたからこそ、ある瞬間にぱっと口を突いて出てきます。」(p132)とあるのですが、この新書には、漢文や日本の古典がぱっと出てきてはいない。うん。ないものねだりしてはいけませんね(笑)。
うん。それでも、たとえば、ユーモアというテーマなら、
世界共通の広がりを感じさせてもらえます。
次のページには、こうありました。
「国会での質問や答弁にせよ、会社の中の意見の対立にせよ、分野や年代性別を問わず社会全体から個性とユーモアが消えて、つまらない理屈ばかりになって来ましたね。・・そもそもあいての何かを批判する時は、翻って自分の中にも同じものが含まれていることを理解する必要があるのです。それが自分を笑いものにできるユーモアに通じるんですから。ユーモアとは人間の真実をとらえた瞬間の笑いであって、人間はあまりに本当のことを言われると、つい笑ってしまうものです。その伝統は川柳などにかろうじて生きていますが、最近はお笑い芸人の馬鹿話と勘違いされてしまっています。真実を見る、というのはまず自分をきっちり見ることです。自分を見つめていればこそユーモアが生れるのに、そうならないのは幼稚な証拠、つまり真実を見抜く力もないし、人間というものに対するごく一般的な恐れや同感のない証拠です。」
ここに、「お笑い芸人」とある。
そういえば、日下公人「思考力の磨き方」に、
「いまや『東大ブランド』が通用するのはタレントの世界ぐらいである。テレビでは『東大出身タレント』『京大出身タレント』が、ただそれだけでもてはやされているが、『あいつは東大出だから』といった発想で仕事を任せているような企業はほとんどないだろう。もしあれば、その企業の将来は期待できない。」(p71)
う~ん。
これは、ユーモアというのでしょうか。
真実を見抜く力というのでしょうか。
どっちも同じか(笑)。
2冊ともに、共通して、テレビへの言及に
切れ味があり、テレビをダラダラ見ている私は、
耳が痛いのでした。
というか、傾聴する、
言葉のひっかかりとなっております。