和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

おまえがやれ。

2012-04-10 | 短文紹介
「ウメサオタダオ展」は、東京でも開催されたのですが、いかなかった(笑)。ということで「百聞は一見にしかず」ではなくて、一見せずに百聞をウロウロすることに。

そうすると、小長谷有紀さんの名前が目につきます。
「ウメサオタダオ展」のカタログである
「知的先覚者の軌跡 梅棹忠夫」の責任編集者が小長谷さん。
他にも
「梅棹忠夫のことば」(河出書房新社)
「ウメサオタダオと出あう 文明学者・梅棹忠夫入門」(小学館)
「梅棹忠夫の『人類の未来』」(勉誠出版・小長谷有紀編)
「ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界のあるきかた」
(勉誠出版・小長谷有紀・佐藤吉文編)

とあり、そういえば、
2011年4月に中公文庫にはいった
梅棹忠夫著「裏がえしの自伝」の解説も小長谷有紀氏です。
ちなみに、この解説の題はというと、
「長大な知的山脈をたのしむための、オリエンテーリング」となっておりました。この「裏がえしの自伝」に『南極越冬記』への言及がありましたので、ここに引用しておきます。

「越冬隊がかえってきた。越冬隊長の西堀栄三郎博士がかえってきた。それは、たいへんなさわぎであった。各地で報告会や講演会がひらかれ、新聞・雑誌はおどろくべき分量のスペースをその報道にさいた。問題は本であった。単行本であった。そのとき、わたしの敬愛する桑原武夫大先輩から指令がきた。西堀栄三郎著『南極越冬記』という本を、おまえがつくれ。桑原さんのいわれることには、西堀にはどうせそんな本をまとめる能力はないから、おまえがやれ。出版社は岩波書店、岩波新書の一冊である。話はもうできている。・・・・問題は材料がどれだけあるかだ。素材なしではなにもつくれない。西堀隊長は日記をつけておられるであろうか。西堀隊長のもってかえってこられた『素材』をみて、おどろいた。大判の重厚な装丁のノートブックに、ぎっしりと日記がかかれていた。ほかに、科学的エッセイ、講演原稿など、山のようにある。ものすごい分量である。これをどうして一冊にちぢめるか、それが問題である。・・・大ナタをふるって所定の分量にまでちぢめるのがわたしの役だった。
このままの形ではどうにもならないので、それをすべて原稿用紙にうつしてもらった。200字づめ原稿用紙で数千枚あった。わたしは岩波書店の熱海伊豆山の別荘にこもった。ことがらの推移を追いながら、しかも項目ごとにまとめ、ところどころに科学的エッセイをはさむ。自分で原稿をかくのではなく、もっぱら原稿をけずる仕事だから、らくといえばらくなのだが、けっこう気ぼねがおれた。割愛するのにしのびないおもしろい話がたくさんあるのだが、新書一冊という制限のあることとて、大はばにけずらざるをえなかった。一週間以上もかかったかとおもう。作業はついにおわった。そして、異例のはやさで、西堀栄三郎著『南極越冬記』が世にでた。岩波新書としては、ずいぶん部あついものになった。売れゆきは爆発的だったといってもよいだろう。わたしもほっとした。」(p84~86)


ちなみに、
「南極越冬記」は1957年2月15日~1958年2月24日までの一年間の生活記録。
1958年7月に、西堀栄三郎著「南極越冬記」が出ており、
1969年7月に、梅棹忠夫著「知的生産の技術」が出ます。
コメント
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