和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

読者を予想せず。

2012-04-06 | 短文紹介
ちょっと前に、
のりりんさんからコメントをいただきました。
うん。嬉しかったです(笑)。

ということで、
小長谷有紀編「梅棹忠夫のことば」(河出書房新社)を紹介。
右ページに梅棹忠夫の言葉を引用。
左ページに小長谷有紀さんの、その引用についての解説。
ゆったりと短い言葉で読みやすい入門書となっております。
そこに、こんな箇所がありました。

まず、右ページに

「家庭内の雑誌や新聞の発行、というようなこともおこなわれるようになるだろう。小説をはじめとする文芸の運命も、そのあたりとかかわりあっているとおもう。文芸の究極形態は、読者を予想せず、自分が自分にむけてかくということになるのではないだろうか。セルフ・コミュニケーションである。」(著作集第9巻)p106

左ページにある、
小長谷さんの言葉
その最後の2行を引用。

「また、アクセスされないブログは、かぎりなく自分のための、自分によるコミュニケーションになってしまう。ツイッターはその反動的現象かもしれない。」p107



ちなみに、p30には、
知的生産の技術から、この引用がしてありました。


「カードは、わすれるためにつけるものである。
このことは、カードのかきかたに重大な関係をもっている。
カードをかいてしまったら、安心してわすれてよいのである。
そこで、カードをかくときには、
わすれることを前提にしてかくのである。
つまり、つぎにこのカードをみるときには、
その内容については、きれいさっぱりわすれているもの、
というつもりでかくのである。
したがって、コードなしの記号や、
自分だけにわかるつもりのメモふうのかきかたは、
しないほうがよい。
一年たてば、
自分でもなんのことやらわからなくなるものだ。
自分というものは、時間がたてば他人とおなじだ、
ということをわすれてはならない。」


コメント
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