「憂鬱でなければ、仕事じゃない」(講談社)で、
見城徹は、
「圧倒的努力とは、とても単純である。・・・どこから手を付けていいかわからない膨大なものに、手を付け、最後までやり通すことだ。」(p60)
ところで、編集者・見城氏が作家、ミュージシャン、スポーツ選手、女優・・へ手紙を書いた、その文面は、気になります。まあ、それはそれ(笑)。それよりも、見城徹氏が1950年生れで、〈狐〉こと山村修氏も1950年生まれということが、気になりました。ここでは、ちくま文庫「〈狐〉が選んだ入門書」の解説・加藤弘一氏の文を引用しておきます。
「・・〈狐〉が主な発表の舞台としたのは『日刊ゲンダイ』の『新刊読みどころ』というコラムだった。『日刊ゲンダイ』は中年サラリーマン向けの夕刊タブロイド紙である。スポーツ記事や風俗記事、芸能記事のひしめく紙面に22年半、週一回のペースで書きつづけ、とりあげた本は1200冊に達するが、特筆すべきは守備範囲の広さで、小説、随筆、思想書から古典、漫画、画集におよんだ。昨今新刊書の寿命は短いが、書評はさらにはかなく、基本的に読み捨てされるものである。ところが〈狐〉のコラムは読者の支持を受け、はなはだ異例のことながら・・次々に単行本にまとめられた。・・〈狐〉の書評はなぜこれほど読者を魅了するのだろうか?・・・」
こうして、その魅力をさぐる解説が続くのでした。
気になるのは、山村修氏が亡くなる一年前に
なぜ、入門書を取り上げることにしたのか?
ということで、
「〈狐〉が選んだ入門書」が文庫になったのを機会に、あらためて、以前途中で放り出していた、ここに取り上げられた入門書の遅読にチャレンジしてみます。そのよい機会を与えていただけたのだ。と思って。
見城徹は、
「圧倒的努力とは、とても単純である。・・・どこから手を付けていいかわからない膨大なものに、手を付け、最後までやり通すことだ。」(p60)
ところで、編集者・見城氏が作家、ミュージシャン、スポーツ選手、女優・・へ手紙を書いた、その文面は、気になります。まあ、それはそれ(笑)。それよりも、見城徹氏が1950年生れで、〈狐〉こと山村修氏も1950年生まれということが、気になりました。ここでは、ちくま文庫「〈狐〉が選んだ入門書」の解説・加藤弘一氏の文を引用しておきます。
「・・〈狐〉が主な発表の舞台としたのは『日刊ゲンダイ』の『新刊読みどころ』というコラムだった。『日刊ゲンダイ』は中年サラリーマン向けの夕刊タブロイド紙である。スポーツ記事や風俗記事、芸能記事のひしめく紙面に22年半、週一回のペースで書きつづけ、とりあげた本は1200冊に達するが、特筆すべきは守備範囲の広さで、小説、随筆、思想書から古典、漫画、画集におよんだ。昨今新刊書の寿命は短いが、書評はさらにはかなく、基本的に読み捨てされるものである。ところが〈狐〉のコラムは読者の支持を受け、はなはだ異例のことながら・・次々に単行本にまとめられた。・・〈狐〉の書評はなぜこれほど読者を魅了するのだろうか?・・・」
こうして、その魅力をさぐる解説が続くのでした。
気になるのは、山村修氏が亡くなる一年前に
なぜ、入門書を取り上げることにしたのか?
ということで、
「〈狐〉が選んだ入門書」が文庫になったのを機会に、あらためて、以前途中で放り出していた、ここに取り上げられた入門書の遅読にチャレンジしてみます。そのよい機会を与えていただけたのだ。と思って。