古本は読めればよい。
というタイプなので、できるだけ値段の安いのをネット注文。
最近の注文したのは、
柳宗悦著「南無阿弥陀仏」で紹介されていた
吉川清の「一遍上人」「遊行一遍上人」を
値段の安さにひかれて、注文しました。
太田書店(静岡市葵区)
吉川清著「一遍上人」協栄出版社(初裸本背小口ヤケ)
1050円+送料210円=1260円
書肆八松(藤沢市辻堂)
吉川清著「遊行一遍上人」紙硯社
600円+送料160円=760円
(こちらは、注文すると、保存状態の確認として
写真を送ってきました。表紙裏表とページとで4枚も)
さて、とどいた2冊の、どちらも昭和19年発行となっておりまして、
つまり、紙質がもともと、わるい。それは承知のうえなので
気にならないのですが、思わぬ発見は
どちらも、装幀・鳥海青兒。
「遊行一遍上人」の表紙は
空也立像(歴史や美術の教科書の載っているあれです)のような
立ち姿の絵です。数珠をもった左手を前に差し出して、
素足ですこし腰がこごんだような姿をして、
坊主頭の顔を前につきだしたような。
空也像は口から何やら出ておりましたが、
こちらの絵は、いまにも話が聞こえてきそうにも思えます。
(空也は杖をついて、いろいろぶら下げたり、もっていましたが
一遍はみすぼらしく臭ってもきそうな着物を縄のようなものでしめて、
もっているのは数珠のみ)
「一遍上人」の表紙は
「南無阿弥陀仏」の民芸風の文字が、ならび
その上に題名と著者名が赤くすこし透ける文字で印刷されています。
その二冊の表紙を並べてみると、
本の状態は、まったくよくないのですけれども、
何とも気品というか気迫がある。
さらに、今日届いた古本がありました。
古書リゼット(鹿児島県鹿児島市)
坂村真民著「一遍上人語録 捨て果てて」(大蔵出版株式会社)
1000円+送料160円(ヤマトメール便)=1160円
こちらは、何と、
坂村真民氏の「こんにちただいま」という筆書きが
してありました。それに、包装紙の裏に
謹呈と赤いマジックで、そのあとサインペンのような
文字が5~6行、雑誌をいただいたお礼に送ったもののようで
そのような内容のことが書かれてありました。
坂村真民氏については、だいぶ以前から、ある方に、「一道を行く 坂村真民の世界」(到知出版社)という本を読んでみるようにと、あずかって、そのままになっており、ちょうど、一遍上人との関連で、これで読むキッカケが、つかめたので、ひとり喜んでおります。
ちなみに、坂村真民氏は熊本生まれ。
ネットで日本中の古本屋を検索できる楽しみ。
というのがあるのを、偶然ですが知りました。
余談になりますが、
一遍上人といえば、思い浮かんだのが
加藤秀俊著「メディアの発生」(中央公論新社)の追記(p214)。
そのはじまりの箇所をすこし引用。
「一遍上人ゆかりの江刺の聖塚を訪ねたのは平成18(2006)年夏のことであった。そこで供養された『すすき念仏』が、それをつたえる『薄念仏会』という名で毎年9月15日におこなわれていることもそのころに知った。場所は神奈川県藤沢の遊行寺(正確には藤澤山清浄光寺(とうたくさんせいじょうこうじ))。江刺訪問から二年後の平成20年の9月当日、かねてからの念願をはたすべく、わたしは藤沢にむかった。・・・・」
うん。わたしは藤沢の古本屋へ注文したのでした。
機会があれば、9月15日に遊行寺へと行きたいなあ。
そう思って、いまだ実現していないのでした。
まあ、届いた古本の表紙をながめながら、
そんなことを思っているのでした。
というタイプなので、できるだけ値段の安いのをネット注文。
最近の注文したのは、
柳宗悦著「南無阿弥陀仏」で紹介されていた
吉川清の「一遍上人」「遊行一遍上人」を
値段の安さにひかれて、注文しました。
太田書店(静岡市葵区)
吉川清著「一遍上人」協栄出版社(初裸本背小口ヤケ)
1050円+送料210円=1260円
書肆八松(藤沢市辻堂)
吉川清著「遊行一遍上人」紙硯社
600円+送料160円=760円
(こちらは、注文すると、保存状態の確認として
写真を送ってきました。表紙裏表とページとで4枚も)
さて、とどいた2冊の、どちらも昭和19年発行となっておりまして、
つまり、紙質がもともと、わるい。それは承知のうえなので
気にならないのですが、思わぬ発見は
どちらも、装幀・鳥海青兒。
「遊行一遍上人」の表紙は
空也立像(歴史や美術の教科書の載っているあれです)のような
立ち姿の絵です。数珠をもった左手を前に差し出して、
素足ですこし腰がこごんだような姿をして、
坊主頭の顔を前につきだしたような。
空也像は口から何やら出ておりましたが、
こちらの絵は、いまにも話が聞こえてきそうにも思えます。
(空也は杖をついて、いろいろぶら下げたり、もっていましたが
一遍はみすぼらしく臭ってもきそうな着物を縄のようなものでしめて、
もっているのは数珠のみ)
「一遍上人」の表紙は
「南無阿弥陀仏」の民芸風の文字が、ならび
その上に題名と著者名が赤くすこし透ける文字で印刷されています。
その二冊の表紙を並べてみると、
本の状態は、まったくよくないのですけれども、
何とも気品というか気迫がある。
さらに、今日届いた古本がありました。
古書リゼット(鹿児島県鹿児島市)
坂村真民著「一遍上人語録 捨て果てて」(大蔵出版株式会社)
1000円+送料160円(ヤマトメール便)=1160円
こちらは、何と、
坂村真民氏の「こんにちただいま」という筆書きが
してありました。それに、包装紙の裏に
謹呈と赤いマジックで、そのあとサインペンのような
文字が5~6行、雑誌をいただいたお礼に送ったもののようで
そのような内容のことが書かれてありました。
坂村真民氏については、だいぶ以前から、ある方に、「一道を行く 坂村真民の世界」(到知出版社)という本を読んでみるようにと、あずかって、そのままになっており、ちょうど、一遍上人との関連で、これで読むキッカケが、つかめたので、ひとり喜んでおります。
ちなみに、坂村真民氏は熊本生まれ。
ネットで日本中の古本屋を検索できる楽しみ。
というのがあるのを、偶然ですが知りました。
余談になりますが、
一遍上人といえば、思い浮かんだのが
加藤秀俊著「メディアの発生」(中央公論新社)の追記(p214)。
そのはじまりの箇所をすこし引用。
「一遍上人ゆかりの江刺の聖塚を訪ねたのは平成18(2006)年夏のことであった。そこで供養された『すすき念仏』が、それをつたえる『薄念仏会』という名で毎年9月15日におこなわれていることもそのころに知った。場所は神奈川県藤沢の遊行寺(正確には藤澤山清浄光寺(とうたくさんせいじょうこうじ))。江刺訪問から二年後の平成20年の9月当日、かねてからの念願をはたすべく、わたしは藤沢にむかった。・・・・」
うん。わたしは藤沢の古本屋へ注文したのでした。
機会があれば、9月15日に遊行寺へと行きたいなあ。
そう思って、いまだ実現していないのでした。
まあ、届いた古本の表紙をながめながら、
そんなことを思っているのでした。