柳田国男著「俳諧評釈」(定本柳田国男集第17巻)を、すこし齧りはじめたところ。
ああ、そういうことなのかと合点しながら、すこしだけ読みすすむ。線が引いてあるので、途中まで読んだ形跡があるのですが、すっかり忘れて、はじめて読むのと同じ。
そういえば、向井敏著「文章読本」(文藝春秋)に、
安東次男について指摘がありました。
「深読みが過ぎるという反論もきっとあるとは思うが、じつをいえば、考証の及ばない領域にあえて身を挺して、思いきって深読みしてみせるところが、安藤次男の連句解釈の面目であり、楽しさでもある。」(第十章・起承転結のすすめ)
はじめての俳諧を読む、私のようなものが最初から「深読み」を読み始められるわけがないと、これも合点する納得のひと言。最初から安東次男の著作を読もうとするのが間違いのもとだと、挫折にも原因があることに気づきました。先達の大切さを思います。
あとは、
坂村真民著「一遍上人語録 捨て果てて」(大蔵出版)を、読み始めたところです。
つまみ食いでなく、
ていねいに咀嚼するように、
どちらも、読みたくなる本です。
ああ、そういうことなのかと合点しながら、すこしだけ読みすすむ。線が引いてあるので、途中まで読んだ形跡があるのですが、すっかり忘れて、はじめて読むのと同じ。
そういえば、向井敏著「文章読本」(文藝春秋)に、
安東次男について指摘がありました。
「深読みが過ぎるという反論もきっとあるとは思うが、じつをいえば、考証の及ばない領域にあえて身を挺して、思いきって深読みしてみせるところが、安藤次男の連句解釈の面目であり、楽しさでもある。」(第十章・起承転結のすすめ)
はじめての俳諧を読む、私のようなものが最初から「深読み」を読み始められるわけがないと、これも合点する納得のひと言。最初から安東次男の著作を読もうとするのが間違いのもとだと、挫折にも原因があることに気づきました。先達の大切さを思います。
あとは、
坂村真民著「一遍上人語録 捨て果てて」(大蔵出版)を、読み始めたところです。
つまみ食いでなく、
ていねいに咀嚼するように、
どちらも、読みたくなる本です。