産経新聞の関厚夫著「次代への名言」が、今は「司馬さん、遼(はるか)なり」編をとりあげて連載中なのでした。5月27日で26回目。ときどき、読んでいるのですが、今度まとめて読んでみたくなります。
さて、同じ5月27日産経新聞の読書欄に「時評文芸」を石原千秋氏が月一回の連載をしているのでした。司馬遼太郎と石原千秋。と2人が並ぶと、思い浮かんだのが、最近読み直した松本健一氏の文でした。中公文庫の「司馬遼太郎の跫音」。
そこの最初の方に、松本健一氏の文が掲載されておりました。
司馬遼太郎は1996年(平成8年)2月12日73歳で亡くなって、この「司馬遼太郎の跫音」は、その追悼特集なのでした。では、松本氏のその文から、すこし引用していきます。
「それはともかく、司馬の生前に文芸雑誌でかれを特集したものは、たしかにほとんどなかったのである。のみならず、かれの死後も、文芸雑誌で追悼号はもちろん、追悼特集をつくったところはない。・・・・こういった扱いは、純文学とか文壇というような世界では、司馬遼太郎が文学者としてはあまり評価されてこなかった実態を物語っているのではないか。そういえば、東大をはじめとする気鋭の若手文学研究者たちを集めた『漱石研究』№6(1996年5月20日刊)には、大学の文学研究者たちの司馬遼太郎に対する低い評価をうかがわせる、次のような言葉があった。」(文庫p60~61)
このあとに、引用されているのが、石原千秋氏の文でした。
まあ、興味ある方は、一読をおすすめして、ここでの引用は省きます。
石原氏は、司馬サンの講演「漱石の悲しみ」をとりあげていたのですが、その講演について、松本氏は、以下のようにすくいあげておられるので、それは引用しておきます。
「しかし、これが司馬さんの校閲をへていない講演の記録であると考えると、語り口の巧みさ、なめらかさは、やはり尋常のものでない。」(p64)
「そこに、この司馬流の語り口のうまさと関係するのだが、司馬さんが漱石そのものを、あるいは漱石の文章の特徴を語っている部分は、全体の三分の一ぐらいにしかならないのである。あとは、漱石を同時代の空気、同時代人、同時代の文章のなかに置く、という方法をとっている。出てくる人物にしても、泉鏡花、徳富蘇峰、ラフカディオ・ハーン、坪内逍遥、長谷川如是閑、二葉亭四迷、丘浅次郎、正岡子規、高浜虚子、寺田寅彦・・・。それらの人物の経歴や文章のくせを、一々説き来り説き去るのである。これは、じつは司馬さんの小説の書きかたと同じなのである。・・・純文学を研究している大学の文学研究者には、そういったことがまったく見えていないのである。」(~p66)
それにしても、連載「次代への名言」の「司馬さん、遼なり」編は、今度まとめて読んでみることにします。
さて、同じ5月27日産経新聞の読書欄に「時評文芸」を石原千秋氏が月一回の連載をしているのでした。司馬遼太郎と石原千秋。と2人が並ぶと、思い浮かんだのが、最近読み直した松本健一氏の文でした。中公文庫の「司馬遼太郎の跫音」。
そこの最初の方に、松本健一氏の文が掲載されておりました。
司馬遼太郎は1996年(平成8年)2月12日73歳で亡くなって、この「司馬遼太郎の跫音」は、その追悼特集なのでした。では、松本氏のその文から、すこし引用していきます。
「それはともかく、司馬の生前に文芸雑誌でかれを特集したものは、たしかにほとんどなかったのである。のみならず、かれの死後も、文芸雑誌で追悼号はもちろん、追悼特集をつくったところはない。・・・・こういった扱いは、純文学とか文壇というような世界では、司馬遼太郎が文学者としてはあまり評価されてこなかった実態を物語っているのではないか。そういえば、東大をはじめとする気鋭の若手文学研究者たちを集めた『漱石研究』№6(1996年5月20日刊)には、大学の文学研究者たちの司馬遼太郎に対する低い評価をうかがわせる、次のような言葉があった。」(文庫p60~61)
このあとに、引用されているのが、石原千秋氏の文でした。
まあ、興味ある方は、一読をおすすめして、ここでの引用は省きます。
石原氏は、司馬サンの講演「漱石の悲しみ」をとりあげていたのですが、その講演について、松本氏は、以下のようにすくいあげておられるので、それは引用しておきます。
「しかし、これが司馬さんの校閲をへていない講演の記録であると考えると、語り口の巧みさ、なめらかさは、やはり尋常のものでない。」(p64)
「そこに、この司馬流の語り口のうまさと関係するのだが、司馬さんが漱石そのものを、あるいは漱石の文章の特徴を語っている部分は、全体の三分の一ぐらいにしかならないのである。あとは、漱石を同時代の空気、同時代人、同時代の文章のなかに置く、という方法をとっている。出てくる人物にしても、泉鏡花、徳富蘇峰、ラフカディオ・ハーン、坪内逍遥、長谷川如是閑、二葉亭四迷、丘浅次郎、正岡子規、高浜虚子、寺田寅彦・・・。それらの人物の経歴や文章のくせを、一々説き来り説き去るのである。これは、じつは司馬さんの小説の書きかたと同じなのである。・・・純文学を研究している大学の文学研究者には、そういったことがまったく見えていないのである。」(~p66)
それにしても、連載「次代への名言」の「司馬さん、遼なり」編は、今度まとめて読んでみることにします。