和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

新聞連載を楽しむ。

2012-05-26 | 短文紹介
古新聞をもらってきました(笑)。
日経新聞の日曜日に連載されている山折哲雄の「危機と日本人」。
いつもは、1ページごと手でビリビリとやぶっておしまいにしているのですが、
山折氏の連載は、ちゃんとハサミで切り抜いて、スクラップブックに綴じております。
5月20日までで、12回目となりました。別に読まなくても、畠中光享の挿画を並べて見るだけでも楽しめる。楽しみついでに文でも読もうかという気になる新聞連載。
うん。カラフルなの、気持も明るくなります。一回一回の本文にあわせて描かれていて、そちらの興味もかきたてられるのでした。
ちなみに、連載がおわって単行本になれば、文章だけになって、何とも味気ない。というのはいつものパターン。そう、絵本を楽しみしていたら、文章だけになってしまったような連載が終わってからの、つまらなさ。
そういえば、山折哲雄氏は以前にも日経新聞で連載をされていたなあ。
その時は、切り抜きをしてなかったのですが、やはり楽しみでした。
連載の11回目には、山本周五郎の「樅ノ木は残った」をとりあげておりました。
そこに「この小説は昭和29年7月から翌30年4月まで、さらに昭和31年3月から同9月までの二度にわたって『日本経済新聞』紙上に連載され、あらたに350枚を加筆して完成をみた労作である。」とありました。そうなんだ。
連載12回目は吉田松陰が登場して挿画も松陰の坐像となっております。座った畳のグリーンが心地よく目にはいります。その12回目のなかで井伊直弼の『茶湯一会集』をとりあげているのでした。
とりあえず、そこから少し引用。

「茶の湯がはてれば、挨拶を交わして、客は露地を去っていく。ともに席を立った亭主はその客を見送っていく。そのまま門外に立ち、客の姿がみえなくなるまで静かに見送る。客の姿が視界を去ったあと、亭主はふたたびもとの茶席にもどる。潜り戸はそのまま、障子も立てない。もとの姿のままにしておく。にじり口を抜けて、茶席の炉の前にひとり着座する。直弼はそれを『炉前に独座する』と書いているのである。『独座』という言葉が深くひびく。勁(つよ)い言葉だ。・・・・ただ独りで茶を点(た)てて飲む。直弼はそれを、こんどは『独服』であるといっている。これこそまさに一期一会がきわまる境地だといっている。・・・・井伊直弼はもしかすると、反対派によって暗殺されることをすでに予感していたのかもしれない。」

うん。最近は、この連載を楽しみに、
古新聞をもらってくるのでした。
コメント
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