武石彰夫全現代語訳「今昔物語集 本朝世俗篇」下(講談社学術文庫)
この解説も武石彰夫氏でした(p629~740)。
その解説の中に、
徒然草が何度も登場しており、楽しめました(笑)。
p656・p658・p665・p723・p736
たとえば、p656では徒然草第五十段から引用されており
そしてこうあります。
「じつは、あれほど理性のとぎすまされた兼好自身も、
これは、どうもまったく根拠がないことでもなさそうだと
人をやって様子を見させたというのである。しかし、
いっこうに鬼にあったというものはなかったというのである。」
(p657)
「あいまいな情報に対して自分勝手な意味づけをし、
自分の心を投影し、ある部分を誇張し、ある部分は標準化したりして
他人に伝えるものだとすれば、この五十段などはその典型であろう。
同じく、『徒然草』第五十三段に記されている仁和寺の法師の話で、
足鼎(あしがなえ)をかぶって舞い出してぬけなくなったことが
記されているが、三本足のかなえをかぶったことから想像すると、
これまた鬼の姿かもしれない。鬼の芸能は寺院に多く伝承されたことも
背景に考えられる。・・・」(p658)
ちなみにですが、寺田寅彦は、この第五十三段について
こう書いておりました。
「鼎をかぶって失敗した仁和寺の法師の物語は傑作であるが、
現今でも頭に合わぬイズムの鼎をかぶって踊って、
見物人をあっと云わせたのはいいが、あとで困ったことになり、
耳も鼻も捥(も)ぎ取られて『からき命まうけて久しく病みゐる』
人はいくらでもある。」
さてっと、ということで、
武石氏の解説の最後の方を引用しておきます。
「説話は、元来、内部へ求心的に縮小するのではなく、
外部へ拡大する性格を持っているが、それにしても、
価値ある拡散を生み出すためには、それなりに内部の
結晶構造のいかんによるのであって、単なる話のおもしろさに
よるのではない。・・・・
巻三十一をしめる雑話の魅力も、
未知への挑戦から発したものであろう。
この情報量のすばらしさは、
情報社会といわれる現代もおよばないであろう。
『今昔』の情報収集力とその処理能力は、
類を見ないものである。このなかから、
偉大な混交と融合も生まれたのであり、
素材の発見は、また、深い人間への洞察から
生れたものであったと考えられる。
西行は、清盛・頼朝・秀衡の間を行き来した
情報伝達者であり、また情報収集者であった。
兼好もまた、『徒然草』から察知できるように、
膨大な情報量をもって、山門・東密・朝廷・幕府に近づき、
また、彼らのために調法な存在となった。
長明の『発心集』、平康頼の『宝物集』など
仏教説話集編集のかげには、必ずしも
隠者的静謐ばかりがあったとは考えられない。
説話をとどけた代償は、そんなに廉価であったとは
考えられないのである。
勧進聖も、また説話の運搬者であったのみならず、
情報の収集者としての役割もはたしたことを
知らねばならない。人は、意義ある仕事によって
動くと同時に、金と物によって動くという基本を
忘れた論議は説得力を持たないであろう。」(p736)
うん。読めてよかった。
この解説も武石彰夫氏でした(p629~740)。
その解説の中に、
徒然草が何度も登場しており、楽しめました(笑)。
p656・p658・p665・p723・p736
たとえば、p656では徒然草第五十段から引用されており
そしてこうあります。
「じつは、あれほど理性のとぎすまされた兼好自身も、
これは、どうもまったく根拠がないことでもなさそうだと
人をやって様子を見させたというのである。しかし、
いっこうに鬼にあったというものはなかったというのである。」
(p657)
「あいまいな情報に対して自分勝手な意味づけをし、
自分の心を投影し、ある部分を誇張し、ある部分は標準化したりして
他人に伝えるものだとすれば、この五十段などはその典型であろう。
同じく、『徒然草』第五十三段に記されている仁和寺の法師の話で、
足鼎(あしがなえ)をかぶって舞い出してぬけなくなったことが
記されているが、三本足のかなえをかぶったことから想像すると、
これまた鬼の姿かもしれない。鬼の芸能は寺院に多く伝承されたことも
背景に考えられる。・・・」(p658)
ちなみにですが、寺田寅彦は、この第五十三段について
こう書いておりました。
「鼎をかぶって失敗した仁和寺の法師の物語は傑作であるが、
現今でも頭に合わぬイズムの鼎をかぶって踊って、
見物人をあっと云わせたのはいいが、あとで困ったことになり、
耳も鼻も捥(も)ぎ取られて『からき命まうけて久しく病みゐる』
人はいくらでもある。」
さてっと、ということで、
武石氏の解説の最後の方を引用しておきます。
「説話は、元来、内部へ求心的に縮小するのではなく、
外部へ拡大する性格を持っているが、それにしても、
価値ある拡散を生み出すためには、それなりに内部の
結晶構造のいかんによるのであって、単なる話のおもしろさに
よるのではない。・・・・
巻三十一をしめる雑話の魅力も、
未知への挑戦から発したものであろう。
この情報量のすばらしさは、
情報社会といわれる現代もおよばないであろう。
『今昔』の情報収集力とその処理能力は、
類を見ないものである。このなかから、
偉大な混交と融合も生まれたのであり、
素材の発見は、また、深い人間への洞察から
生れたものであったと考えられる。
西行は、清盛・頼朝・秀衡の間を行き来した
情報伝達者であり、また情報収集者であった。
兼好もまた、『徒然草』から察知できるように、
膨大な情報量をもって、山門・東密・朝廷・幕府に近づき、
また、彼らのために調法な存在となった。
長明の『発心集』、平康頼の『宝物集』など
仏教説話集編集のかげには、必ずしも
隠者的静謐ばかりがあったとは考えられない。
説話をとどけた代償は、そんなに廉価であったとは
考えられないのである。
勧進聖も、また説話の運搬者であったのみならず、
情報の収集者としての役割もはたしたことを
知らねばならない。人は、意義ある仕事によって
動くと同時に、金と物によって動くという基本を
忘れた論議は説得力を持たないであろう。」(p736)
うん。読めてよかった。