桑原博史著「徒然草の鑑賞と批評」(明治書院)の
はじまりは、「徒然草を読むために」。
そこから、この箇所を引用。
「・・・作品の色調としての明るさと暗さとに見られる。
たとえば第12段『同じ心ならん人としめやかに物語りして』、
第13段『ひとり灯のもとに文をひろげて』などの章段には、
人間の世界に心のかよい合う友人を求め得ない深い絶望があらわれていて、
兼好の孤独な魂といったものが感じられる。
しかしこの暗さは、作品全体をおおっているものではない。
第41段を見ると、『五月五日、賀茂の競べ馬を見侍りしに』、
愚かな人々の中に自分をも加えているから、
人々に前に出てこいといわれて、群衆の中にとけこんでしばしを
楽しむ心のゆとりがある。
第二三八段中の『人あまたつれて』『人あまた伴なひて』という、
何人かの仲間と歩いている時の兼好には、
明るさにみちみちた生活の一端がしのばれるのである。
これは、兼好と同じように現実生活に背を向けて出家した
鴨長明の場合と、まったく対照的である。
彼の世に対する恨みに比して、兼好の場合は、
出家後も親和関係にある人々にかこまれて
生活している明るさが感じられるのである。
個人の内面としては絶望的な暗さをも持ちながら、
現実生活としては明るさにみちた日々を送っている、
こういう明暗二つの世界を生きている作者の姿が、
そのまま作品の色調となって結晶している。
それが徒然草の作品世界である。」(p6)
はじまりは、「徒然草を読むために」。
そこから、この箇所を引用。
「・・・作品の色調としての明るさと暗さとに見られる。
たとえば第12段『同じ心ならん人としめやかに物語りして』、
第13段『ひとり灯のもとに文をひろげて』などの章段には、
人間の世界に心のかよい合う友人を求め得ない深い絶望があらわれていて、
兼好の孤独な魂といったものが感じられる。
しかしこの暗さは、作品全体をおおっているものではない。
第41段を見ると、『五月五日、賀茂の競べ馬を見侍りしに』、
愚かな人々の中に自分をも加えているから、
人々に前に出てこいといわれて、群衆の中にとけこんでしばしを
楽しむ心のゆとりがある。
第二三八段中の『人あまたつれて』『人あまた伴なひて』という、
何人かの仲間と歩いている時の兼好には、
明るさにみちみちた生活の一端がしのばれるのである。
これは、兼好と同じように現実生活に背を向けて出家した
鴨長明の場合と、まったく対照的である。
彼の世に対する恨みに比して、兼好の場合は、
出家後も親和関係にある人々にかこまれて
生活している明るさが感じられるのである。
個人の内面としては絶望的な暗さをも持ちながら、
現実生活としては明るさにみちた日々を送っている、
こういう明暗二つの世界を生きている作者の姿が、
そのまま作品の色調となって結晶している。
それが徒然草の作品世界である。」(p6)