和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

徒然わぶる人。

2017-02-11 | 道しるべ
小林秀雄に「徒然草」という3ページほどの文があるのを思い出す。
さっそく、ひらいてみる。

「『つれづれ」 といふ言葉は、
平安時代の詩人等が好んだ言葉の一つであつたが、
誰も兼好の様に辛辣な意味をこの言葉に見付け出した者はなかつた。
彼以後もない。『徒然わぶる人は、如何なる心ならむ。
紛るる方無く、唯独り在るのみこそよけれ』、
兼好にとつて徒然とは『紛るる方無く、唯独り在る』
幸福並びに不幸を言ふのである。
『徒然わぶる人』は徒然を知らない。
やがて何かで紛れるだろうから。
やがて『惑の上に酔ひ、酔の中に夢をなす』だろうから。
兼好は、徒然なる儘に、徒然草を書いたのであつて、
徒然わぶるままに書いたのではないのだから、
書いたところで彼の心が紛れたわけではない。
紛れるどころか、眼が冴えかへつて、
いよいよ物が見え過ぎ、物が解り過ぎる辛さを、
『怪しうこそ物狂ほしけれ』と言つたのである。」


ちなみに、寺田寅彦の『徒然草の鑑賞』の文の最後の方に
こんな言葉がありました。

「子供の時から僧になった人とちがって、
北面武士から出発し、数奇の実生活を経て
後に頭を丸めた坊主らしいところが到る処に現れている。
そうしてそういう人間が、全く気任せに自由に
『そこはかとなく』『あやしう』『ものぐるほしく』
矛盾も撞着も頓着しないで書いているところに、
この随筆集の価値があるのであろう。
これらの矛盾撞着によって三段論法では説けない
道理を解説しているところにこの書の妙味があるであろう。」
コメント
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