桑原博史著「徒然草の鑑賞と批評」(明治書院)の
はじまりは「徒然草を読むために」という文でした。
そこに司馬遼太郎著「人間の集団について」への言及がありました。
そこを引用。
「どんな分野でも、専門というのは、小さな狭い領域に立ち入ることに
なってしまう。私も専門家のはしくれだから、見えている領域というのは、
日本の古典文学の中の、ごくわずかな一部分でしかない。
そういう自分の欠点をわずかでも修正するために、
私は、幅広い読書をすることによって、何とか自分の思考世界を広げたい
と思っている。たまたま目にした司馬遼太郎氏『人間の集団について』
によって、その感をいよいよ深くすることになった。
・・・・研究の世界でも、対象に愛情を持つことは第一に大切なことで、
色々な発見発明も、愛情をもってその対象の内側にはいることによって
可能になる。ところが、対象に愛情を持つことは、
誰にでもできることではない。・・・・・
根本的に対象に対して冷たいがために、何年かかっても研究を真の意味で
完成させることができない、不幸な人もいる。
司馬氏のこの本が、読者にこころよいのは、
氏の愛情がきわめて自然で、少しも無理がないからである。」
はい。私は『人間の集団について』を読んでないので、気になります。
はじまりは「徒然草を読むために」という文でした。
そこに司馬遼太郎著「人間の集団について」への言及がありました。
そこを引用。
「どんな分野でも、専門というのは、小さな狭い領域に立ち入ることに
なってしまう。私も専門家のはしくれだから、見えている領域というのは、
日本の古典文学の中の、ごくわずかな一部分でしかない。
そういう自分の欠点をわずかでも修正するために、
私は、幅広い読書をすることによって、何とか自分の思考世界を広げたい
と思っている。たまたま目にした司馬遼太郎氏『人間の集団について』
によって、その感をいよいよ深くすることになった。
・・・・研究の世界でも、対象に愛情を持つことは第一に大切なことで、
色々な発見発明も、愛情をもってその対象の内側にはいることによって
可能になる。ところが、対象に愛情を持つことは、
誰にでもできることではない。・・・・・
根本的に対象に対して冷たいがために、何年かかっても研究を真の意味で
完成させることができない、不幸な人もいる。
司馬氏のこの本が、読者にこころよいのは、
氏の愛情がきわめて自然で、少しも無理がないからである。」
はい。私は『人間の集団について』を読んでないので、気になります。