和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

徒然草と今昔物語集。

2017-02-22 | 道しるべ
今昔物語集と徒然草について、
「平成徒然談義」(PHP)の対談で
谷沢永一さんが指摘されておりました。

谷沢】 ・・・・平安、鎌倉は説話文学の全盛期です。
説話文学の本の名前を挙げていくだけで、『江談抄』から
何から、十以上ある。『今昔物語』もここら辺です。
ところが、たくさんある説話文学のほとんどを兼好が引用していない。
知っていたはずなのに、それを一切退け、そこに書いてないことを
書いてやろうという独創性を意識している。今回、調べて、
そこまで徹底していたかと感心しました。
兼好の作家魂といいますか、表現意欲といいますか、
それは並々ならぬものであったと思います。


ということで、
このあとも、興味深いので引用を続けます(笑)。



渡部】 兼好は自分の目で見て、書きたいことを書いたわけですね。
・・・『徒然草』はあの時代で日本が誇りとすべき文学ですね。

谷沢】 おっしゃる通りです。その『徒然草』が失せることなく
残ったのは日本文学にとって幸いでした。というのは、
世に出たのは永享三年(1431)、後花園天皇のときで、
連歌師の正徹(しょうてつ)による写本です。
つまり、鎌倉時代から南北朝時代にかけて執筆された後、
百年間、寝ていたことになります。
その間に写本は一冊もない。
百年経つ間に、次々と写していかなければ伝わらないはずなのに、
どうして埋もれずに済んだのか。
これは奇跡としか言いようがありません。
正徹本のあとは、慶長十八年(1613)に烏丸光広が古活字本で出して、
一般読書界に広がっていき、
注釈が初めて現れるのは寛永四年(1627)、三代将軍・家光の時代です。
ここまできて『徒然草』は日本の文学になったと言えます。
途中に『御伽草子』なども出ていますが、
日本文学は停滞期に入っていました。
そこに、フレッシュな新しい作品として『徒然草』が現れ、
近世文学に非常に大きな影響を与えた。
もし『徒然草』がなかったら・・・・(p12~13)
コメント
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