和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

訳語のありきたりな印象操作。

2018-09-20 | 短文紹介
山岡鉄秀氏の本2冊を読んでいる。
たとえば「日本よ、もう謝るな!」(飛鳥新社)の
最後の10章は、こうはじまっておりました。

「2017年に入っても、国連の攻撃が止まらない。
より正しく言えば、国連を利用した活動家やNPOの攻撃が
激しくなっている。このことは取りも直さず、
国連という機関が、日本人が夢想するような
公正中正の正義の機関などではなく、
特定の思想を持つ人々に容易に利用されてしまう、
工作機関の堕しているという現実を如実に示している。」
(p212)

つぎも引用してみます。

「2017年5月、国連の看板を担ぐ委員会や特別報告者
という名の専門家から、日本政府に対して次々と
横槍が入って日本国民を驚かせた。

拷問禁止委員会『日韓合意を見直せ!』
ジョセフ・ケタナタ『テロ等準備罪法案は欠陥法案だ!』
デビッド・ケイ『日本の表現の自由は危機に瀕している!』

これらはすべて、『専門家による提言(リコメンデーション)』
に過ぎないのだが、日本のメディアが『勧告』と訳すものだから、
まるで国連という権威ある国際組織から命令されたような
印象を受けてしまう。

・・・誤訳とまでは言えないが、誤解を招くので、
私は『勧告』から『提言』に訳を変更することを提言する。」
(~p213)

そういえば、
松岡正剛著「本から本へ」(角川ソフィア文庫)に
こんな箇所がありました。

「徂徠はまた『訳社』をつくって、
漢語翻訳のグループワークをすることを奨励した。
・・・そこに会員が加わって
『俗をもって雅を乱すを許さざるなり』という方針を貫いた。
ぼくも同時通訳グループ(・・木幡和枝代表)を十年近く
預かったことがあるのでよくわかるのだが、
翻訳や通訳は水準が高くなければ意義がない。
よほど注意をしていないと、すぐにありきたりになる。
それでは『俗をもって雅を乱す』ことになる。
日本のような国語が特別な国では、
ここをどう踏んばるかがしごく重要なのだ。」
(p252)



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