山岡鉄秀氏の本2冊を読んでいる。
たとえば「日本よ、もう謝るな!」(飛鳥新社)の
最後の10章は、こうはじまっておりました。
「2017年に入っても、国連の攻撃が止まらない。
より正しく言えば、国連を利用した活動家やNPOの攻撃が
激しくなっている。このことは取りも直さず、
国連という機関が、日本人が夢想するような
公正中正の正義の機関などではなく、
特定の思想を持つ人々に容易に利用されてしまう、
工作機関の堕しているという現実を如実に示している。」
(p212)
つぎも引用してみます。
「2017年5月、国連の看板を担ぐ委員会や特別報告者
という名の専門家から、日本政府に対して次々と
横槍が入って日本国民を驚かせた。
拷問禁止委員会『日韓合意を見直せ!』
ジョセフ・ケタナタ『テロ等準備罪法案は欠陥法案だ!』
デビッド・ケイ『日本の表現の自由は危機に瀕している!』
これらはすべて、『専門家による提言(リコメンデーション)』
に過ぎないのだが、日本のメディアが『勧告』と訳すものだから、
まるで国連という権威ある国際組織から命令されたような
印象を受けてしまう。
・・・誤訳とまでは言えないが、誤解を招くので、
私は『勧告』から『提言』に訳を変更することを提言する。」
(~p213)
そういえば、
松岡正剛著「本から本へ」(角川ソフィア文庫)に
こんな箇所がありました。
「徂徠はまた『訳社』をつくって、
漢語翻訳のグループワークをすることを奨励した。
・・・そこに会員が加わって
『俗をもって雅を乱すを許さざるなり』という方針を貫いた。
ぼくも同時通訳グループ(・・木幡和枝代表)を十年近く
預かったことがあるのでよくわかるのだが、
翻訳や通訳は水準が高くなければ意義がない。
よほど注意をしていないと、すぐにありきたりになる。
それでは『俗をもって雅を乱す』ことになる。
日本のような国語が特別な国では、
ここをどう踏んばるかがしごく重要なのだ。」
(p252)
たとえば「日本よ、もう謝るな!」(飛鳥新社)の
最後の10章は、こうはじまっておりました。
「2017年に入っても、国連の攻撃が止まらない。
より正しく言えば、国連を利用した活動家やNPOの攻撃が
激しくなっている。このことは取りも直さず、
国連という機関が、日本人が夢想するような
公正中正の正義の機関などではなく、
特定の思想を持つ人々に容易に利用されてしまう、
工作機関の堕しているという現実を如実に示している。」
(p212)
つぎも引用してみます。
「2017年5月、国連の看板を担ぐ委員会や特別報告者
という名の専門家から、日本政府に対して次々と
横槍が入って日本国民を驚かせた。
拷問禁止委員会『日韓合意を見直せ!』
ジョセフ・ケタナタ『テロ等準備罪法案は欠陥法案だ!』
デビッド・ケイ『日本の表現の自由は危機に瀕している!』
これらはすべて、『専門家による提言(リコメンデーション)』
に過ぎないのだが、日本のメディアが『勧告』と訳すものだから、
まるで国連という権威ある国際組織から命令されたような
印象を受けてしまう。
・・・誤訳とまでは言えないが、誤解を招くので、
私は『勧告』から『提言』に訳を変更することを提言する。」
(~p213)
そういえば、
松岡正剛著「本から本へ」(角川ソフィア文庫)に
こんな箇所がありました。
「徂徠はまた『訳社』をつくって、
漢語翻訳のグループワークをすることを奨励した。
・・・そこに会員が加わって
『俗をもって雅を乱すを許さざるなり』という方針を貫いた。
ぼくも同時通訳グループ(・・木幡和枝代表)を十年近く
預かったことがあるのでよくわかるのだが、
翻訳や通訳は水準が高くなければ意義がない。
よほど注意をしていないと、すぐにありきたりになる。
それでは『俗をもって雅を乱す』ことになる。
日本のような国語が特別な国では、
ここをどう踏んばるかがしごく重要なのだ。」
(p252)