平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店・2013年)。
その第八章は『ビルマの竪琴』でした。
うん。第八章の註の(6)(7)を引用してみます。
(6)中央公論社初版には『はにゅうの宿』でなく『はにうの宿』
と書かれている。その表記に従う。なお竹山の表記は、
そのしなやかな感受性を反映するかのように、
動詞・形容詞・副詞などにはひらがなを使うことが多く、
平明な日本語で書くことをつねとした。
(7)敵陣から音楽が聞こえてきて寄せ手も感動するという場面は
日本には謡曲『敦盛』の昔から知られる。・・・・・・
イギリス人ヘンリー・ビショップの曲『楽しきわが家』を聞いて
米人ペインの歌詞Home,Sweet Homeを
『万葉集』巻十一にある『埴生(はにふ)の小屋(をや)』の
語彙を借りて訳した人は里見義である。
明治22年『埴生の宿』は『中等唱歌集』に採用されて
広く国民に愛唱された。埴生が黄赤色の粘土であることを
知る人は少ないが『埴生の宿』が家庭讃歌であることは
ひろく日本人にも了解されている。
『夕空はれて』に始まる『故郷の空』は大和田建樹の
歌詞がすばらしいが、明治21年『明治唱歌集』に採用された。
この国民的に愛唱された唱歌は元はスコットランド民謡である。
はい。註を引用するだけで、私は満腹感を覚えます。