はい。前回からの続きになります。
『いじわるばあさん』第一巻の
2ページ目の四コマ漫画を引用。
①道路の電柱に、タクシーが衝突。
②運転手がでてきて『だれか水!!』
ばあさんがコップに水をもってくる。
③運転手が飲み干した後に、驚いて『酒だ!!』
④警察官が、運転手の腕をつかんで、
『つべこべいうな あきらかに よっぱらい運転だ!』
事故車の影から、見ている ばあさん。
2ページ目の四コマ漫画を引用。
①道路の電柱に、タクシーが衝突。
②運転手がでてきて『だれか水!!』
ばあさんがコップに水をもってくる。
③運転手が飲み干した後に、驚いて『酒だ!!』
④警察官が、運転手の腕をつかんで、
『つべこべいうな あきらかに よっぱらい運転だ!』
事故車の影から、見ている ばあさん。
うん。インパクトがある四コマでした。
ちょうど、この四コマを見たときに思い浮んだのは、
拘束ということでした。
産経新聞2022年2月18日の2面に
「上海で50代邦人拘束 昨年12月スパイ容疑か」
という見出しがあり、記事の真中へんには
『中国でスパイ容疑などで日本人を拘束するケースが
続いており、2015年以降に少なくとも計16人に達する」
また、この記事の最後には、こうありました。
「日中関係筋は17日、15年に北京で拘束され、
懲役12年の実刑判決を受けて服役中だった
70代の日本人男性が今月、搬送先の北京の
病院で病死したことを明らかにした。
男性はスパイ罪が適用されたが、
どのような行為が罪に問われたのか明らかではない。」
はい。中国だけじゃなく、ソビエト・ロシアも引用します。
本棚から「家の神」(淡交社・文は鶴見俊輔)。
はじまりは、『ある帰国』とあります。そこを引用。
「長い戦争が終わってから、さらに8年たった
1953年に、ひとりの男が、シベリアの収容所から
日本にかえりついた。父母がすでに死んでいたので、
故郷の親類の家をたずねた。
第二次世界大戦後のソヴィエト・ロシアは
530,000の日本人を捕虜としてソ連領土にとどめおき、
その中からさらに戦争犯罪人を指定して、形式だけの裁判のあとで、
長年月にわたる重労働を課した。
その戦争犯罪人とは、連合軍による極東軍事裁判とは無関係に
ソ連の国内法にもとづいておこなわれた『かくし戦犯』である。
戦争が終わってから4年目の1949年に、捕虜の中から
約3000人がそのような方法で戦争犯罪人にえらばれた。
この人は、その3000人ほどの1人として25年の刑を言いわたされ、
シベリアの密林地帯で囚人としての労働にたずさわった。」
はい。このようにはじまっている一冊でした。
ここで、『いじわるばあさん』へともどります。
意地悪ばあさんは、そういえば、人が描かれておりますが、
イソップ物語には、どうぶつが、描かれておりました。
うん。最後に、イソップ物語から『びょうきの らいおん』
を引用してみます。ひらがななので、しかも訳は
石井桃子さんなので、全文引用しちゃいましょう。
「らいおんが、だんだん としをとって、
じぶんで、えものを とりに、でかけられなく なりました。
そこで、ほらあなの なかに ねて、はあ はあ、
くるしそうに いきを しながら、びょうきで、あるけないのだ、
という ふりをしました。
そのうわさが、もりの なかに つたわると、
いろいろな けものが、みまいに やってきました。
そこで、らいおんは、そのけものたちを、
つぎつぎに とってたべて、たいへん ふとって しまいました。
そのうち、きつねが、らいおんのけいりゃくを みやぶりました。
そして、あるひのこと、ようすを みに やってくると、
らいおんの あなから、だいぶ とおいところに たちどまって、
『びょうきは、いかがですか?』と、ききました。
『ああ、きつねくんか。どうもぐあいが、よくないのだ。
どうか、なかに はいって、このあわれな ともだちを、
なぐさめて くれたまえ。』
らいおんは、いいました。
そこで、きつねは、
『おや、それは、おきのどくさま
でも、ぼくは、なかへは はいりませんよ。
だって、あなたの あなの いりぐちには、
はいっていく あしあとばかりで、
でてくる あしあとが、ないじゃ ありませんか。
そうで なかったら、ぼくも、
おそばへ いっても いいんだすがねえ。』と、こたえました。」
はい。参考文献ということで
『いじわるばあさん』No.1(朝日新聞出版・2013年)
産経新聞令和4(2022)年2月18日「上海で50代邦人拘束」記事
『新版家の神』(淡交社・平成11年)
『いそっぷいそっぷいそっぷ』(実業之日本社・1976年非売品)
最後の本には、石井桃子さんの「あとがき」があります。
せっかくですから、この機会に、そこから一部引用しておきます。
「イソップのお話が、二千何百年という、ながいあいだ、
わたしたちのあいだに伝わってきたのには、それだけの
わけがあると思わなければなりません。
わたしたちは、幼いとき、イソップのお話を聞きます。
そのとき、わたしたちは、多くのばあい、そのおくにかくされた、
もうひとつのいみに、気づきません。でも、お話の表面のおもしろさは、
わかります。幼い子どものためには、それでいいと思います。
そして、そのお話は、たいへんかんたんで、頭にはいりやすいため、
いくつも、いくつも聞きおぼえ、やがて、大きくなって、
何事かにであったとき、はっとして・・・・」