和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

サザエさん一家の家風。

2022-02-17 | 本棚並べ
「サザエさんの〈昭和〉」(柏書房)には、
鶴見俊輔の文が2つありました。
ひとつは、鶴見俊輔著「漫画の戦後思想」(1973年)から。
あとのは、「長谷川町子さん追悼」(1992年)の4ページ。
そのどちらにも、『眼は人間のマナコと言ってな』の場面がある。

はい。その四コマ漫画を紹介しておかなきゃ。

はじまりは、 サザエさんが、お父さんに叱られている場面。

第二コマ目、『昔の金言にも、目は人間のまなこなりというこばがある』
      とおとうさんが演説口調で。サザエさんがわらいをおさえて
      『いやだ・・・目は心のまどでしょう』

第三コマ目、つられて、おとうさんが大声でわらいだす。
      『ワッハッハッ。そうかそうか』
      サザエさん・お父さん二人して、体をゆすぶって大わらい。

第四コマ目、かあさんが正座して、おとうさんをしかっている。
      『あなた、もっとちゃんとしつけをなさらなきゃ
       だめじゃありませんか』
       おとうさん『うん』
       おとうさんは、頭をたれ、片方の腕まくりをして
       別の手でその腕をかいている。・・・

鶴見俊輔は、この場面を言葉で引用したあとに

『日常生活の言いまちがいをもとにした単純な漫画だが、
 これが、サザエさんの26年1万回分の作品にくりかえしあらわれてくる
 ・・・
 父親が、娘に言われて、自分の言ったことのおかしさに気がつき、
 いちはやく笑いだしてしまうところに、いかにも、
 サザエさん一家の家風があらわれている。

 このあたりが、戦後民主主義なので、嫌いな人は
 ここのところが嫌いになるのだろう。

 私には・・・この理想をうまずたゆまず、26年くりかえしている 
 長谷川町子に共感をもつ。」(p53~55「サザエさんの〈昭和〉」)

この鶴見さんが指摘する『サザエさん一家の家風』ということで、
長谷川洋子著「サザエさんの東京物語」に、思い浮かぶ箇所がありました。

「私達三人姉妹には同じDNAがあって、それは大勢の人の前で、
 何であれ発表するときには、すごく上がって首尾をまっとう
 できないという弱点である。」(p85)

この次に、詩吟の発表会でのまり子姉のエピソードが紹介されています。

「当日、いざ自分の番が回ってきて壇上に上がり、
 満場の聴衆と向き合った途端にハッと上がってしまった。
 それでも何とか吟じ始めたものの途中で息が切れて
 声がでなくなってしまい、もはやこれまでと思ったか、
 一声『やめたッ』と叫んで退場してしまった。
 ・・『やめたッ』は前例もないのではないだろうか。
 上がり性というのは、どうにもならないところがあり、
 こんなDNAを受け継いだ不運を災難とあきらめる外はない。」

このあとにも、そのDNAの例がくるのですが、そちらはカットして
さらに次の箇所から引用します。

「町子姉に責められ、
『だって、ドキがムネムネしちゃったんだもの』と胸を押さえた。
 ムネがドキドキと言うつもりであったことは、よくわかった。

 まり子姉にはこんな具合に、名詞にしろ形容詞にしろ文章にしろ、
 なぜか逆さにひっくり返して言うクセがあって、
 
 『サザエさん うちあけ話』の中にも、
 中華料理店でフカのヒレのことを『ヒカのフレ』と
 注文したことを町子姉が描いている。

 人を評して、
 『あれは一つむじなの狸よ』とか、
 『皿をくらわば毒まで』などとも言ったりする。

 『サザエさん』の中で、
 『目は人間のまなこなり』と波平さんがサザエにお説教しているが、
 これも、まり子姉の失言を拝借したもので随分漫画のタネを提供して
 貢献している。」(~p87)


はい。『サザエさん一家の家風』ということでは、
私に、引用しておきたい箇所があります。

長谷川家で、一番おとなしそうな三女の洋子さんのこと。
いったい、どのように見られていたのか。案外、ここいらに
長谷川家の家風の輪郭が、はっきりと現れている気がします。

それは、洋子が通う、女学校の教頭先生の見方なのでした。

「『教頭先生もね、長谷川さんは生まれたまま大きくなったような人で
 真っ直ぐな気性のところがいいって、いわば野蛮人のような子だけど、
 そこが美点だから、損なわないでほしいって言ってらしたわ。・・・』
 
 野蛮人と言われて喜ぶ生徒がいるだろうか。
 しかし、問題児を励ましフォローしようとされる
 温情は身にしみてありがたかった。

 この教頭先生は英国で教育を受けられたレディの見本のような方であり、
 厳しさと温かさを併せ持った先生として、かねがね尊敬の念を持ってい
 た。」(~p90「サザエさんの東京物語」)


はい。今回も引用ばかり。
でも、きっといつかこの場面が、あとになって
思い浮かんでくるような気がします。
そういう時に、かぎって、どこにあったのか
探しだせないんだから。とりあえず、引用しておくに限ります。

う~ん。最後は、鶴見俊輔氏による「長谷川町子さん追悼」から
この個所を引用しておくことに。

「・・お父さんは、娘に説教するのに、
 『眼は人間のマナコと言ってな』などとしまりのないことを言う人で
 ・・・父親にしても、やがて登場する夫にしても、
 自分たち以上に生命力のある女に家の指導をゆだねるだけの器量がある。
 そういう男たちは、やがて大量消費の時代にあらわれる
 新しい男性群像の前ぶれとなっている。・・」(p195)

はい。鶴見さんの、追悼文のしめくくりは、というと

「・・経済大国になってゆく日本の中で、長谷川町子は、
『サザエさん』から『いじわるばあさん』に視点を移した。

 めまぐるしい技術革新とファッション交替の中で
 とりのこされる老女の眼から意地悪く現代風俗をとらえる方法は
 ・・・
 地球大の社会の見方をつくりだす。日本の変貌ととりくむ
 作風の変化によって長谷川町子は戦後50年の偉大な漫画家となった。」
  (p197)

さて、『いじわるばあさん』を古本で注文することにします。

 





コメント (4)
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