和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

すみません なんて書いてあんです?

2022-02-27 | 本棚並べ
幸田露伴の『五重塔』を読んだ時に、思い浮かんだのは、
長谷川如是閑の『職人かたぎ』という文でした。
この二つを読むと、大工職人が息づいてくるのを感じられます。

長谷川如是閑の文は、こうはじまります。

「私は職人でもなく、職人研究の専門家でもないが、
明治の初めに生まれて、日本の職人道が、その伝統的の姿を
まだそのまま持ち続けていた明治時代に育ったので、
ことに自分の家が、先祖代々江戸の大工の棟梁だった
というようなことから、・・・・・

いつも日本の職人には、歴史や文学ではちょっとわからない
人間的なものがあることが感じられていたのであった。・・・・」

ちなみに、如是閑さんは、「職人かたぎ」補遺で
幸田露伴に触れておられました。

「職人かたぎはその本場は江戸だったので、職人の話というと、
主人公はきまって江戸っ子だった。職人かたぎの伝統は古いが、
江戸時代になって、その生粋(きっすい)の形が江戸ででき上がった
のである。だから職人の話をするのも江戸っ子で、田舎者にはない。

そのせいか、明治文学の初期に職人の文学を書いたのは、
やはり江戸っ子の露伴だった。・・・・
その江戸っ子の小説家も、職人をテーマにしたのは露伴だけだった。
しかし露伴も自分が職人ではなく、また職人の生活にも接しても
いなかったらしい・・・・

職人とは縁の遠い環境に育った露伴だが、
それはおそらく下町育ちの獲物だったろう。
漱石は同年生まれの江戸っ子だが、山の手育ちなので、
職人の世界には全く無知だったが・・・しかし漱石の
仕事に打ち込んだ名人かたぎは、やはり江戸っ子式のそれで、
どこかに職人かたぎに通じるものがあった。・・・」

はい。長谷川如是閑。幸田露伴。夏目漱石とつづいたところで、
長谷川町子の『いじわるばあさん』の、四コマに登場する職人。

①ばあさんが、外出着をきて、杖をついて歩いてゆく

②医院の看板があり、
ドアには『本日休診』の札が掛けてある。

③後ろから、半纏を羽織った職人が、ばあさんに聞いている
 『すみません なんて書いてあんですか?』
 ばあさん『本日割引(わりびき)よ!』

④顔の耳から頭顎にかけて包帯を巻いている職人さんは
 ドアのベルを鳴らしながら、
 もう一方の手で、ドンドンとドアを叩いている。
 窓には、お医者さん夫婦がいて、耳をふさいでいる。

長谷川如是閑の『職人かたぎ』には、こうもありました。

「・・口にも筆にもかからない点が大切なのである。
 その持ち主の職人には、自分の名前も書けないよう
 なものが多かったので、職人のことを職人自身が
 書いたというような文献は、むしろあり得ない。」



コメント (2)
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