幸田露伴の『五重塔』を読んだ時に、思い浮かんだのは、
長谷川如是閑の『職人かたぎ』という文でした。
この二つを読むと、大工職人が息づいてくるのを感じられます。
長谷川如是閑の文は、こうはじまります。
「私は職人でもなく、職人研究の専門家でもないが、
明治の初めに生まれて、日本の職人道が、その伝統的の姿を
まだそのまま持ち続けていた明治時代に育ったので、
ことに自分の家が、先祖代々江戸の大工の棟梁だった
というようなことから、・・・・・
いつも日本の職人には、歴史や文学ではちょっとわからない
人間的なものがあることが感じられていたのであった。・・・・」
ちなみに、如是閑さんは、「職人かたぎ」補遺で
幸田露伴に触れておられました。
「職人かたぎはその本場は江戸だったので、職人の話というと、
主人公はきまって江戸っ子だった。職人かたぎの伝統は古いが、
江戸時代になって、その生粋(きっすい)の形が江戸ででき上がった
のである。だから職人の話をするのも江戸っ子で、田舎者にはない。
そのせいか、明治文学の初期に職人の文学を書いたのは、
やはり江戸っ子の露伴だった。・・・・
その江戸っ子の小説家も、職人をテーマにしたのは露伴だけだった。
しかし露伴も自分が職人ではなく、また職人の生活にも接しても
いなかったらしい・・・・
職人とは縁の遠い環境に育った露伴だが、
それはおそらく下町育ちの獲物だったろう。
漱石は同年生まれの江戸っ子だが、山の手育ちなので、
職人の世界には全く無知だったが・・・しかし漱石の
仕事に打ち込んだ名人かたぎは、やはり江戸っ子式のそれで、
どこかに職人かたぎに通じるものがあった。・・・」
はい。長谷川如是閑。幸田露伴。夏目漱石とつづいたところで、
長谷川町子の『いじわるばあさん』の、四コマに登場する職人。
①ばあさんが、外出着をきて、杖をついて歩いてゆく
②医院の看板があり、
ドアには『本日休診』の札が掛けてある。
③後ろから、半纏を羽織った職人が、ばあさんに聞いている
『すみません なんて書いてあんですか?』
ばあさん『本日割引(わりびき)よ!』
④顔の耳から頭顎にかけて包帯を巻いている職人さんは
ドアのベルを鳴らしながら、
もう一方の手で、ドンドンとドアを叩いている。
窓には、お医者さん夫婦がいて、耳をふさいでいる。
長谷川如是閑の『職人かたぎ』には、こうもありました。
「・・口にも筆にもかからない点が大切なのである。
その持ち主の職人には、自分の名前も書けないよう
なものが多かったので、職人のことを職人自身が
書いたというような文献は、むしろあり得ない。」