佐伯彰一氏の指摘に
『わが国の数多い神社のローカル、いわば自然環境と
その簡潔な結構は、やはり宗教的傑作の一つではないだろうか。
おのずと美的秩序があり、浄らかな奥床しさ、厳かさが伝わってくる。
しかも事々しい押しつけがましさ、勿体ぶった威圧感がまるでない。』
( p57「神道のこころ」の中の「日本人を支えるもの」から )
はい。『宗教的傑作の一つではないだろうか』とあります。
うん。私の連想は、ここから神社仏閣の大工へいくことに。
世の中に、神社仏閣がなかりせば、日本の文化も淋しからまし。
その建物を作る大工さんのことを思い浮かべてみる。
うん。幸田露伴の『五重塔』が、候補として浮かぶ。
ということで、ここは露伴の『五重塔』。
井波律子・井上章一共編『幸田露伴の世界』(思文閣出版・2009年)
をひらいてみる。目次をさがすと、『五重塔』をテーマにした方が
いらっしゃる。佐伯順子氏でした。
パラパラとめくってみる。佐伯氏の文の「おわりに」から引用。
「一時期、教科書にも採用されていた露伴の『五重塔』は」
とはじまっておりました。そして
「私自身、日本文学の講師として勤めた最初の職場で、
一回生向けの基礎ゼミで『五重塔』を講読し、
その流れるような文体の妙に魅せられました。」(p153)
はい。とりあえず文庫本で『五重塔』を持っております。
未読でしたのですこし読み齧ってみる。
ここに最初の印象を書きつけておきます。
たとえば、法事で坊さんの声にあわせて、経本の文字
を追いながら、読経をする方々にとっては、たやすく
『五重塔』の文体は、スラスラと読みすすめられます。
なんといっても、経典は意味不明でも、五重塔の文は
読みながら内容が浮かぶ、そういう読者層を想定して
書かれたようにも思えてくる文体です。
同じ流れるような文体でも、読経の文とは違って
その情景が手に取るようにわかるのが五重塔です。
さて、佐伯さんの本文紹介を引用してゆきます。
「私利私欲をのり越えて同じ仕事をまっとうしようとする源太や、
職人肌の十兵衛の人物造形も巧みで、名作であるには違いないと
思います。特に暴風雨の場面は、講読すると圧倒的なリズム感で
とても感動的です。」
この佐伯順子氏の、文の題名はというと、
「『五重塔』という『プロジェクトX 』
前進座『五重塔』と日本の高度成長」とあります。
佐伯氏の「おわりに」にもどって引用してみると
「『プロジェクトX』も、田口トモロオさんのナレーションや、
中島みゆきのテーマ音楽が人気になりましたが、形式は違えど、
耳に訴える感動話という意味では、現代の講談ともいえます。」
(p153)
題名にある『前進座』と『高度成長』の個所も
本文からすこし引用しておきます。
「前進座の創立は昭和8年に遡りますが、
梨園の名跡でなければ出世できない伝統歌舞伎を脱出し、
身分社会的なヒエラルキーを超えて演技力で勝負しよと
した劇団の挑戦的精神が、『五重塔』の十兵衛に重ねら
れています。・・・」(p150)
「ただ、経済成長が頭うちになった2000年代の若者たちが、
高度成長期同様の自己実現の意欲や『心意気』を抱いているか
どうかは疑問ですが、同じ2005年の、『五重塔』が
上演600回をこえたことを報じる新聞記事からは、
『この舞台に共感する全国の建築関係者は多く、
今度の再演でも入場券の販売に協力を申し出ている』と、
全国の建築関係者の方が、2000年代になっても
『五重塔』にシンパシーを抱いていることがわかります。」(p151)
うん。引用ばかりですが、もう少しつづけて終ります。
「高度成長期を過ぎても、どこかで、大きな建築物を建てたり、
モノを作ったりすることによって社会を発展させ、同時に
自己実現もしていくというメンタリティに共感できる人々が残っており、
それがこの舞台を支えて続けているのです。
演劇というものは、入りが悪ければ再演されにくいものですが、
脚色者の方の回想にもあったように、息の長い再演の背景には、
社会風潮との連動と、そこに由来する観客の反応のよさがあるはずです。」
(p151)
うん。遅まきながら、私はこれから
幸田露伴の『五重塔』を文庫で読んでみることにします。