和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

盥(たらい)の行水。

2022-02-25 | 本棚並べ
昭和30年の写真です。子供が行水(ぎょうずい)をしてる。
林望さんは、それを説明しながら、こう書いています。

「むろんそのころは冷房なんてものはどこにもなくて、
夏になればひたすら暑さに耐えながら、せいぜい井戸水で
冷やした西瓜を食べ・・・・

そういうなかで、行水というのは、夏のなによりの楽しみだった。

当時、私の家は、できたばかりの新式鉄筋アパートの一室にあって、
その頃としてはめずらしくちゃんと内風呂がついていた。

しかし、夏の真っ盛りの午後には、ベランダに、
(アパートで庭がなかったので)金だらいの大きなのを出して、
そこで一つ違いの兄といっしょによく行水をしたものだった。

そういうとき、母は、この写真のお母さんのごとく、
濡れてもいいような軽い服装をして、私どもの世話を焼いた。
そうしながら、母自身も涼を取っていたのである。」
 (p72・林望著「ついこの間あった昔」弘文堂)

「いじわるばあさん」の連載は昭和40年~昭和46年でした。
四コマ漫画には、内風呂も、銭湯も、行水もでてきます。

ここでは、行水。
長谷川町子さんなら、どう描いていたか。

①塀をめぐらした庭で、ばあさんがバケツの水を盥に入れてます。
 ばあさん『ことし さいごの ギョウズイだ』

②低い植木に着物をかぶせ、背中向きのばあさんは、
 盥に坐って、手拭いで背中をゴシゴシとしてます。
 その背中には、お灸のあとが点々と背骨とならんであり、
 鼻歌らしく、ばあさんの上に音符が気ままに並んでます。

③いきなり、堀の外で、行水しているばあさん。
 見物人がニコニコと男・女・子供共6~7人。
 後ろをむきざま、驚いている、ばあさんの顔。

④長谷川町子さんが、右手にペンを持ち、両手をあげて逃げてます。
 ばあさんが盥から出てバケツで、町子さんに水をぶっかけている。
 ばあさん『チクショウ いじわる作者! バックをかきかえたな!!』
 ばあさんの姿は、素足に、腰に布を巻いて、垂乳根の上半身は裸。
 盥のわきには、下駄が描かれておりました。

       ( p16「いじわるばあさん」二巻目 )


色っぽい行水もあります。
こちらは四コマの最後から引用をはじめます。

④板塀に囲まれた庭で、奥さんが行水をしてます。
 板塀の下の破れ目から、犬が顔をだしている。
 奥さんは、豊かな胸をして、両手を上下にひろげ
 手拭いで背中をゴシゴシ。髪がたれないように
 後ろから布をあてて、額でしばっています。
 はい。色っぽくするためか口のわきにはホクロ。

③若い人が、犬の顔の縫いぐるみをもって、
 いじわるばあさんに、500円を渡してる。

②ばあさんが、正座させた若者に犬の顔のぬいぐるみを
 つま先立ちして、かぶせている。サイズあわせ。
 ばあさんの足のそばには、裁縫箱とハサミ。

①ばあさんが、犬の縫いぐるみに糸をとおす裁縫の場面。

      ( p95「いじわるばあさん」第一巻目 )

 
はい。新潟県佐渡には、木の大きな盥を小舟に見立てた
観光舟があるそうですが、その木の盥を小さくしたような
家庭版で、よく洗濯につかわれていたものを行水のために
使用していたのでしょうか。現在、気にすると見かけるのは、
浮袋式ビニールプール。これは、子供の夏の定番でしょうか。


話をかえます。

こうして昭和の四コマ漫画を思い浮かべていると、
どういうわけか、気まぐれに、浮かんできたのは、
柳田国男著「木綿以前の事」でした。一度読んで、
印象だけで他はすっかり忘れてる。本棚から出す。
その自序は、こうはじまります。

「女と俳諧、この二つは何の関係もないもののように、
今までは考えられておりました。

しかし古くから日本に伝わっている文学の中で、
これほど自由にまたさまざまの女性を、
観察し描写しかつ同情したものは他にありません。

女を問題とせぬ物語というものは昔も今も、
捜して見出すほどしかないと言われておりますが、
それは皆一流の佳人と才子、または少なくとも
選抜せられたある男女の仲らいを叙べたものでありました。

これに反して俳諧は、何でもない只の人、
極度に平凡に生きている家刀自(いえとじ)、
もっと進んでは乞食盗人の妻までを、
俳諧であるがゆえに考えてみようとしているのであります。
・・・・」

ちょっと『木綿以前の事』は、これはこれで気になりますが、
それは後回しに、もうすこし『いじわるばあさん』続けます。


コメント (4)
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