幸田露伴著「五重塔」(ワイド版岩波文庫)を
はじめて読みました。其一から、其三十五まで、
映画の画面展開を読んでいるような歯切れよさ。
黙読にも、活字を目で追うのと、
音読のリズムをもって読むのと、では違うのを
『五重塔』を読み、直接知ることができました。
ここでは、地鎮(じちん)の式が語られている。
其二十三を引用してみることに。
「動きなき下津磐根(しもついわね)の太柱と
式にて唱ふる古歌さへも、何とはなしにつくづく嬉しく、
身を立つる世のためしぞとその下(しも)の句を吟ずるにも
莞爾(にこにこ)しつつ二度(ふたたび)し、
壇に向ふて礼拝恭(つつし)み、
柏手(かしわで)の音清く響かし
一切成就の祓(はらい)を終る・・・」
具体的な箇所には、さまざまな神々への呼びかけがありました。
「・・五宝・・五香、その他五薬五穀まで備へて
大土祖神(おおつちみおやのかみ)埴山彦神(はにやまひこのかみ)
埴山媛神(はにやまひめのかみ)あらゆる鎮護の神々を
祭る地鎮の式もすみ、
地曳土取(じびきつちとり)故障なく、
さて竜伏(いしずえ)はその月の生気の方より右旋(みぎめぐ)り
に次第据ゑ行き五星を祭り、
釿(ちょうな)初めの大礼に・・・・
・・・神までの七神祭りて、その次の
清鉋(きよがんな)の礼も首尾よく済み
・・・四天にかたどる四方の柱
千年万年動(ゆる)ぐなと祈り定る柱立式(はしらだてしき)、
・・・七星を祭りて願ふ永久安護・・・」
「・・・・」に神々の名が連なるのですが、
ここでは、省略させていただきましたので、
詳しくは、幸田露伴「五重塔」で読めます。
はい。五重塔の感想なのですが、
また、機会があるかと思います。
ここには、幸田露伴の略年譜から、
その頃の、様子を引用。
明治25年 26歳・・『五重塔』を発表
このころから、露伴は少年物を多く書くようになる。
小説を書く意欲減退。
明治26年 27歳。長編小説『風流微塵蔵』を連載、
2年後に中断、未完成。
明治27年 28歳。腸チフスにかかり、死にかける。
文壇を引きたいとの意をもらす。
明治28年 29歳。・・山室幾美子と結婚。
そして、幸田文が誕生するのが、明治37年。
この年、東京座で『五重塔』上演される。