本は読むよりも、購入するまでが楽しく、
じっさいに手元に届くと興味が他に移り、
その本の積読の状態が、私の常態でした。
そういう性格なのだと割り切れば、
やっと自分なりに納得ができます。
そう納得して、あとは楽しむ。
納得の範囲内でそれを楽しむ。
本が届く前と、本を読む前、その間に思い浮かぶあれこれを、
ブログへ書きこむ。うん。これなら楽に私にもできそうです。
前置きが、ながくなりました。
長谷川町子著『いじわるばあさん』全6巻を古本で注文。
うん。これを読むにあたって浮かぶことを書いてみます。
まずは、言葉のアレコレ。『いじわるばあさん』の
『意地悪』を、辞書でひいてみる。
「わざと困らせたり、いやがらせをしたりする
ことを好む性質。また、その人」とあります。
ちなみに、『意地』をひくと
「自分の思いや考えをどこまでも通そうとする心」。
例として「意地を通す」「意地を張る」。
類似に、『意気地(いくじ)』。
はい。『意気地』も辞書をひらくと
「自分の考えでやりぬこうとする気力。意地。」
例に「意気地がない」・・・。
はい。そういえば、未読本のなかに、
「『意地』の心理」(創元社・1987年)というのが
たしかあったと思って、本棚をさがす。
はい。カバーの背文字が消えてしまっていて、
思うように探せませんでしたが、ありました。
どうやらやっと、読み頃をむかえられた感じ。
6人の方々の論文をまとめた一冊でした。
その序を土居健郎氏が書いております。
うん。序だけなら引用できます(笑)。
序で土居氏は、二つのことを述べておられます。
はい。やっと未読・積読の本の中から現れたので、
ここはひとつ、ていねいに引用することにします。
「まず第一は、・・・・
意地のように本来の日本語の語彙を使って
人間の心理を考察する意義についてである。
私は日本語特有の語彙であるからといって、
その表現する心理が日本人特有のものであるとは必ずしも考えていない。
しかし心のことを論ずるのに、自分たちの気持ちを最もよく
表現できる言葉を使わないことほど愚かしいことはるまい。
そして心理は文化と密接な関係を有するから、
このようにして大写しにされた心理は日本文化に
特に馴染み深いものに見えるであろう。
しかしそれを更に深く掘り下げれば、必ずや
普遍的なものに突き当たるはずであると私は考えているのである。
第二に申したいことは、ここに収録された論文は、・・・
どうも意地の悪い面ばかりに注目している嫌いがあるようだ。
なるほど日本国語大辞典(小学館)で調べてみても、
『意地汚い』『意地を張る』など、
あんまり芳しくない用法の方が目立つが、
この言葉の元来の意味は悪いものではなかったのだし、
今も岡山県児島や壱岐では、『いじのええ人』『あの人はいじがいい』
という使い方をすると記されている。
更に、この問題を聖路加国際病院の同僚と話し合っていてわかったが、
だいたい意地があるのは悪くはないことだ。
そしてもともとあるものならば、時に意地を見せてもよい。
ただ大して意地がないのに、意地を張ろうとするのが悪いのではないか。
・・・・ともかく、意地がよい者も悪い者も、
多くの者が本書を読んでその蒙を開くことを願って
擱筆する次第である。
昭和62年7月8日 」
はい。長谷川町子著「いじわるばあさん」全6巻を読む
その心構えができました。ということで、
『いじわるばあさん』の四コマ漫画と、
佐竹洋人・中井久夫編「『意地』の心理」を
同時に、ひらいて、町子さんの『意地』まで
到達できればと、今から楽しみにすることに。