和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『抜け目のある人』とサザエさん。

2022-03-08 | 地震
東日本大震災は、2011年3月11日でした。
曽野綾子著「揺れる大地に立って」は
(扶桑社2011年9月10日初版)でした。
その本の最後には、

「本書は、書き下ろし原稿に・・
 新聞、雑誌に寄稿した原稿を加えた。」とあり、

各寄稿した新聞・雑誌名は

「 産経新聞・週刊ポスト・新潮45・修身・Will ・本の話
  SAPIO・文芸春秋・あらきとうりょう・オール読物 」

うん。今回引用する箇所は、ここです。
はじめに断っておりました。
「東日本大震災による困難に直面しながら、
 今日私が書くことは不謹慎だという人もあろうが、
 やはり書かねばならぬと感じている・・」(p28)

このあとに、聖パウロの言葉が出てきます。

「新約聖書の中に収められた聖パウロの書簡の中には、
 ところどころに実に特殊な、『喜べ!』という命令が繰り返されている。

 私たちの日常では皮肉以外に『喜べ!』と命令されることはない。
 感情は、具体的な行動と違って、
 外から受ける命令の範疇外のことだからだ。だから聖パウロの言葉は、
   人間が命令されれば心から喜ぶことを期待しているのではないだろう。

 喜ぶべき面を理性で見いだすのが、
 人間の悲痛な義務だということなのだ。

 人間は嘆き、悲しみ、怒ることには
   天賦(てんぷ)の才能が与えられている。
 しかし今手にしているわずかな幸福を
    発見して喜ぶことは意外と上手ではないのだ。・・」
                                                                        ( p29 )


はい。『わずかな幸福を発見して喜ぶこと』とは?
そうそう、サザエさんは家庭という土俵で描かれた四コマ。
長谷川町子さんは、どのような着眼点でとらえていたのか?

そう思ってみると「一度だけ逢った人」(昭和28年)
という長谷川町子さんの短文があります。そこには、
3人の方が登場しておりました。その、2人目でした。


「東京駅で切符を買っていたときです。
 隣の窓口に立っていた奥さんが首を曲げて中をのぞきながら、
 『もしもし、ちょっとお願いします』としきりに声をかけています。
 ・・・・・
 奥さんはちょっと考えてから
 『間宮さん、間宮さん、ちょっとお願いします』と戦法を変えました。
 ご存じのようにあすこの窓口には、
 それぞれ係の名が張り出してありますが、
 彼女はそこから仕入れたわけなのです。
 なれなれしく呼び立てられて、間宮さんは少し
 不機嫌な顔で席に戻り、彼女は目的を達しました。

 このご婦人とは途中のバスでもいっしょでしたが、
 車掌さんが『次、お降りの方はございませんか、ございませんか!』
 と急がしくうながす声に、ハッと正気づき、
 『次、願います』というつもりを口調につられて
 『次、ございます』と叫びあたふたと降りていった人なのです。

 肉付きのよい中年の婦人で、
 家庭でもいかにもすわりのよさそうな母性型です。
 しかし通りすがりの私にもその剽軽(ひょうきん)な人柄が
 うかがえて、毎日どれくらい笑いの種を身辺に振りまいている
 ことかとほほえましく眺めました。

 当節のように抜け目のない世の中では抜け目のある人も貴重な存在です。」
 
           ( p40「長谷川町子 思い出記念館」全集別巻 )


東日本大震災の頃の曽野綾子さんの文と、
長谷川町子さんの文を並べて引用すると、
思い浮かんできたのは、長谷川櫂著「震災歌集」
(中央公論新社・2011年4月)でした。
最後は、歌集から3首を引用します。

避難所に久々にして足湯して『こんなときに笑つていいのかしら』
                         ( p126 )
被災せし老婆の口をもれいづる『ご迷惑おかけして申しわけありません』
                         ( p127 ) 
ピーポーと救急車ゆくとある街のとある日常さへ今はなつかし
                         ( p143 ) 


コメント (2)
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