はい。朝ドラ『まあ姉ちゃん』のBSでの再放送が続いており。
うん。土ドラ『おいハンサム!!』は、第8話で終了しました。
どちらも、チラチラと録画ですが見ておりますし、おりました。
どちらも、三姉妹の家族のお話なのでした。
( ネットで、『おいハンサム!!』は見れるようです )
さて、『サザエさん うちあけ話』の①「生い立ち」に
父親の性格が紹介されております。
「ハンサムで、癇癪もちで、貧乏ゆすりのクセがあり、
非常な子煩悩でした。因果にも娘どもはハンサムは似ず、
短気のほうを、受け継ぎました。・・・・」
マンガの中だけでは知り得ない、町子さんの父親。
それを町子さんは『わが父の記』に残しています。
そこからの引用。
「父は薩摩隼人ですが・・・・
寒中でもシャツを着ないのがはやり、
結婚してから母が毛の下着を何枚も着せたところ
『冬とはこんなに暖かいものだったのか』と
感心したというのが一つ話になっています。
そんな気風の中で育ったので・・・
従って来客の折には、話題にのぼすべき材料もなく、
生来の口不調法の上に煙草ものまず、ただ憮然として
沈黙に苦しんでいる様子は見るも気の毒な姿だったそうです。」
( p43 「長谷川町子 思い出記念館」 )
この父親と子供のこととが出てくる箇所が印象に残ります。
はい。ここを引用したかったのでした。
「父の子煩悩は親類の間でも評判になるほどでしたが、
気長に子どもをあやしたり、なだめたりするのは至って不得手で、
・・すぐ持ち前の癇癪が顔を出しました。
遊ぶときでも、教えるときでも、はじめの志はたいへんよいのですが、
進行するに従って、それが、イスカのハシと食い違い、
最後はきっと、怒鳴る、泣くという騒動に終わるのでした。
これは母に対しても同じで、何か気に食わないことがあると、
前後の見境もなく、すぐ物を投げたり蹴飛ばしたりして乱暴を働きました。
それでも根が愛妻家なので決して直接手を上げるようなことはなく、
物を投げるにも見当をつけ、45度くらい外れたところを目標にしました。
こんなときには、お釈迦様の説法でも耳に入らないので、
母はもっぱらガンジーを決め込み、台風が一過すると、
じりじり条理を立てて非を鳴らしはじめます。
父は気の毒なほどしょげ返って、何を言われても
『うん・・その通りだ・・俺が悪かった。
済まなかった。これからきっと改める』と
ひたすら恭順の意を表明するのでした。」
( p49~50・同上 )
このあとに、里帰りする母と、残された父子の夜の話が出てきます。
うん。ここまで引用していたら、ハンサム詩人が思い浮かびました。
鹿児島出身の詩人・黒田三郎。
黒田三郎の詩集に『小さなユリと』がありました。
最後はそこから詩『夕方の三十分』を引用します。
コンロから御飯をおろす
卵を割ってかきまぜる
合間にウィスキイをひと口飲む
折紙で赤い鶴を折る
ネギを切る
一畳に足りない台所につっ立ったままで
夕方の三十分
僕は腕のいい女中で
酒飲みで
オトーチャマ
小さなユリの御機嫌とりまで
いっぺんにやらなきゃならん
半日他人の家で暮したので
小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う
『ホンヨンデェ オトーチャマ』
『コノヒモホドイテェ オトーチャマ』
『ココハサミデキッテェ オトーチャマ』
卵焼をかえそうと
一心不乱のところに
あわててユリが駆けこんでくる
『オシッコデルノー オトーチャマ』
だんだん僕は不機嫌になってくる
味の素をひとさじ
フライパンをひとゆすり
ウィスキイをがぶりとひと口
だんだん小さなユリも不機嫌になってくる
『ハヤクココキッテヨォ オトー』
『ハヤクー』
癇癪もちの親爺が怒鳴る
『自分でしなさい 自分でェ』
癇癪もちの娘がやりかえす
『ヨッパライ グズ ジジイ』
親爺が怒って娘のお尻を叩く
小さなユリが泣く
大きな大きな声で泣く
それから
やがて
しずかで美しい時間が
やってくる
親爺は率直にやさしくなる
小さなユリも素直にやさしくなる
食卓に向い合ってふたり坐る