岩波文庫の『寺田寅彦随筆集』全5巻(小宮豊隆編)の
第1巻のはじまりは「どんぐり」という6ページの文。
うん。思いうかんだので読んでみました。暮れに
咳をして血を吐いた妻のことが語られていきます。
それをこわがって、下女が暇乞いをして去ります。
次の住込みのお手伝いを、急にたのみます。その箇所
「なんでもよいからと・・連れてきてもらったのが
美代という女であった。仕合せとこれが気立てのやさしい
正直もので、もっとも少しぼんやりしていて、
たぬきは人に化けるものだというような事を信じていたが、
とにかく忠実に病人の看護もし、しかられても腹も立てず、
そして時にしくじりもやった。
手水鉢(ちょうずばち)を座敷のまん中で取り落として
洪水を起こしたり、火燵(こたつ)のお下がりを入れて
寝て蒲団から畳まで径一尺ほど焼け穴をこしらえた事もあった。
それにもかかわらず余は今に至るまで
この美代に対する感謝の念は薄らがぬ。 」
はい。このお手伝いさんのことが
気になりました。もうすこし続けます。
「病人の容体はよいとも悪いともつかぬうちに
年は容赦なく暮れてしまう。新年を迎える用意も
しなければならぬが、何を買ってどうするものやらわからぬ。
それでも美代が病人のさしずを聞いて
それに自分の意見を交ぜて一日忙しそうに働いていた。
大晦日の夜の12時過ぎ、障子のあんまりひどく破れている
のに気がついて、外套の頭巾をひっかぶり、皿一枚をさげて
森川町へ5厘の糊を買いに行ったりした。
美代はこの夜3時過ぎまで結びこんにゃくをこしらえていた。
世間はめでたいお正月になって、暖かい天気が続く。
病人も少しずつよくなる。・・・・・・
そして時々心細い愚痴っぽい事を言っては
余と美代を困らせる。妻はそのころ身重になっていたので、
この5月には初産という女の大難をひかえている。
・・・・・・・・ 」
そして、2月でしょうか。夫婦で植物園へと出かける帰り道
どんぐりを妻が拾い集めるのでした。
その回想のあとでした。
「どんぐりを拾って喜んだ妻も今はない。・・・
ことしの2月、あけて六つになる忘れ形見のみつ坊をつれて、
この植物園へ遊びに来て、昔ながらのどんぐりを拾わせた。
・・・・みつ坊は非常におもしろがった。・・・・」
( 明治38年4月、ホトトギス )
この第1巻の『後語』を、小宮豊隆氏が書いておりました。
「寅彦の書くものが『枕草子』や『徒然草』の伝統を承け、
俳諧の精神を続いで、日本の随筆文学の中でユニイクな
位置を占めるものである事は、周知の事実である。
・・・・・・・・・・・
寅彦は科学も芸術もともに人生の記録であり予言で
あるところに、その本質を同じくすると言っている。
自分で体験した事を整理して記録し、そこから出て来る
理法を発見して将来に備えようとするのが、
科学であり芸術であるとすれば・・・・・
何らかの点で予言の名に値しないものもまた
芸術ではなかったはずである。・・・・・ 」
うん。『後語』からの引用はここまで。
『どんぐりを拾って喜んだ妻も』を読むと、
きまって、私に思い浮かぶ詩がありました。
みかん 三瓶繁男
みかんが いっぱいに実っているのを見て
妻が感動して言った
わー すごい みかんって
こんなふうに なってるんだ
見慣れている僕は
こんなことで感動できる妻に感動した
その妻もすでになく十三回忌が過ぎた
ときどき このことを 思い出し
心の中で ふっと笑う