和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

それにもかかわらず。

2022-03-17 | 詩歌
岩波文庫の『寺田寅彦随筆集』全5巻(小宮豊隆編)の
第1巻のはじまりは「どんぐり」という6ページの文。

うん。思いうかんだので読んでみました。暮れに
咳をして血を吐いた妻のことが語られていきます。
それをこわがって、下女が暇乞いをして去ります。

次の住込みのお手伝いを、急にたのみます。その箇所

「なんでもよいからと・・連れてきてもらったのが
美代という女であった。仕合せとこれが気立てのやさしい
正直もので、もっとも少しぼんやりしていて、

たぬきは人に化けるものだというような事を信じていたが、
とにかく忠実に病人の看護もし、しかられても腹も立てず、
そして時にしくじりもやった。

手水鉢(ちょうずばち)を座敷のまん中で取り落として
洪水を起こしたり、火燵(こたつ)のお下がりを入れて
寝て蒲団から畳まで径一尺ほど焼け穴をこしらえた事もあった。

それにもかかわらず余は今に至るまで
この美代に対する感謝の念は薄らがぬ。  」


はい。このお手伝いさんのことが
気になりました。もうすこし続けます。

「病人の容体はよいとも悪いともつかぬうちに
 年は容赦なく暮れてしまう。新年を迎える用意も
 しなければならぬが、何を買ってどうするものやらわからぬ。

 それでも美代が病人のさしずを聞いて
 それに自分の意見を交ぜて一日忙しそうに働いていた。
 大晦日の夜の12時過ぎ、障子のあんまりひどく破れている
 のに気がついて、外套の頭巾をひっかぶり、皿一枚をさげて
 森川町へ5厘の糊を買いに行ったりした。
 美代はこの夜3時過ぎまで結びこんにゃくをこしらえていた。

 世間はめでたいお正月になって、暖かい天気が続く。
 病人も少しずつよくなる。・・・・・・

 そして時々心細い愚痴っぽい事を言っては
 余と美代を困らせる。妻はそのころ身重になっていたので、
 この5月には初産という女の大難をひかえている。
 ・・・・・・・・                」

そして、2月でしょうか。夫婦で植物園へと出かける帰り道
どんぐりを妻が拾い集めるのでした。
その回想のあとでした。

「どんぐりを拾って喜んだ妻も今はない。・・・
 ことしの2月、あけて六つになる忘れ形見のみつ坊をつれて、
 この植物園へ遊びに来て、昔ながらのどんぐりを拾わせた。
 ・・・・みつ坊は非常におもしろがった。・・・・」
           ( 明治38年4月、ホトトギス )

この第1巻の『後語』を、小宮豊隆氏が書いておりました。

「寅彦の書くものが『枕草子』や『徒然草』の伝統を承け、
 俳諧の精神を続いで、日本の随筆文学の中でユニイクな
 位置を占めるものである事は、周知の事実である。
  ・・・・・・・・・・・

 寅彦は科学も芸術もともに人生の記録であり予言で
 あるところに、その本質を同じくすると言っている。

 自分で体験した事を整理して記録し、そこから出て来る
 理法を発見して将来に備えようとするのが、
 科学であり芸術であるとすれば・・・・・

 何らかの点で予言の名に値しないものもまた
 芸術ではなかったはずである。・・・・・   」

うん。『後語』からの引用はここまで。


『どんぐりを拾って喜んだ妻も』を読むと、
きまって、私に思い浮かぶ詩がありました。

      みかん    三瓶繁男

 みかんが いっぱいに実っているのを見て
 妻が感動して言った

    わー すごい みかんって
    こんなふうに なってるんだ

 見慣れている僕は
 こんなことで感動できる妻に感動した
 その妻もすでになく十三回忌が過ぎた
 ときどき このことを 思い出し
 心の中で ふっと笑う

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