和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

柳田国男の『俳諧』レッスン。

2022-03-20 | 柳田国男を読む
柳田国男著「木綿以前の事」の、目次の中に「生活の俳諧」がある。

「生活の俳諧」の中に『私の講演の主たる目的は』とある。
うん。講演ならばと思って、お気楽に読み出しました。
といっても、内容は豊富。はじまりには、こんな箇所。

「私は熱心においては何人にも譲らざる
 俳諧の研究者、ことに芭蕉翁の、今の言葉でいうファンであるが、
 
 自分ではこれまで俳句なんかやってみようとしたことがない。
 多分できないからだろうと思うが、
 事実また作ってみようともしなかったので、

 一言でいうならば発句(ほっく)はきらいである。
 むしろ発句の極度なる流行が、かえって俳諧の真の味を
 埋没させているのではないかを、疑いかつ憂いつつある一人なのである。」

はい。こんな調子で、この文を引用してゆきます。

「俳句という言葉は、明治以来の新語かと思われる。
 日本では第一高等学校を一高という類の略語が通用しているから、

 『俳諧の連歌の発句』を略して俳句というのも気が利いている。

 しかしそのためにわが芭蕉翁の生涯を捧げた俳諧が、一段と
 不可解なものになろうとしていることだけは争われない。 」


こうして、柳田国男は、俳句と俳諧の違いを味わってゆきます。

「たとえば俳諧の主題としては、俗事俗情に重きを置くことが、
 初期以来の暗黙の約束であるが、これがかなり忠実に守られ
 ていたお蔭に、単なる民衆生活の描写としても、彼の文芸は
 なお我々を感謝せしめるのである。・・・

 しからばどの点が芭蕉の出色であったかと申せば、
 一言でいうと俳諧をその本然の用途、笑いに対する
 我々の要望に応ずるようにしたことであろうと思う。 」

こうして、『笑い』ということで、俳句と俳諧との違いを
明瞭に説いて聞かせます。

「発句からまず人を笑わせようとするような
 連俳というものも一つだってないのである。

 これはいかなる突拍子もない話し家でも、高座に上った
 早々からおかしいことをいう者がないと同じで、

 むしろ最初はさりげなく、やがて高調して来る滑稽を、
 予想せしめただけでよいのであった。

 だから発句ばかりを引離して見れば、いずれも生真面目で
 格別笑いたくもないのが当り前で・・・・

 今日のいわゆる俳句は、それだけでは
 俳諧でないということになるのである。   」


このあとに、『七部集』をとりあげてゆきます。
『七部集は私がことに愛読しているので‥』とあります。
このあとに、『笑い』を扱っているのですが

『この議論をあまり詳しくすると、退屈せられる人があっても困るから』
とあるので、私なりに端折ります。

俳諧師の学問という箇所がありました。
その旅行法が印象深い。

「俳諧師の学問というものは・・・・

 旅行は近世人もよくしているけれども、
 この人たちの旅行法はよほど行脚(あんぎゃ)僧に近く、
 日限も旅程もいたって悠長で、かつかなりの困苦に堪え、
 素朴な生活に親しんでいたらしいのである。

 そういう類似の経験をもつ者だけが、相交わって
 互に心理を理解し共鳴した上に、時として
 詩の興味は昂揚し、感覚が尖鋭化していたのである。」

あとは、具体的な俳諧の引用をしてゆくのですが、
ここに、一か所だけ引用しておくことに

「  泥打ちかはす早乙女のざれ   芭蕉

 田植の日は娘たちまでが昂奮して、よく路を行く人に
 泥苗などを投げる悪戯(いたずら)をした。それを
 御祝儀とも苗祝とも名づけて、慣例にしていた土地も
 遠国にはあるが、芭門の人たちの熟知した京江戸中間
 の田舎には、近世はもうあまり聞かなかったのである。
 これもこの一句によって元禄にはあったことがわかって来る。」


うん。最後に引用しておきたいのは、
柳田国男氏の、その心構えでした。

「自分などの俳諧の味わい方は、
 何か面白そうでまだはっきりと趣旨の呑み込めぬ句は、
 折々思い出して口ずさんでいるのである。

 そうしているうちにはふいと思い当ることがある。
 それがまた一方には文化史のいろいろの方面を考察する際に、
 役に立つことも何度かある・・・・」

はい。あとは柳田国男が芭蕉の俳諧から
『ふいと思い当る』ことの考察を拾って
私なりに読んでいけばよいのだなと思う。



 
コメント
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