『芭蕉』という人は、恥ずかしながら、覚えやすく、
教科書の断片ほどの知識以上に知らずにおりました。
それでも、エピソードに気になることがありました。
たとえば、『三冊子』。その師・芭蕉の教えに
『文台引きおろせば即反故(ほご)也』とあり、
これなど、印象には残っておりましたが、
何も分からないままに忘れておりました。
この謎解きのチャンスとなりそうな3冊。
①森田峠 「三冊子を読む」(本阿弥書店)
②尾形仂・大岡信「芭蕉の時代」(朝日新聞社)
③柳田国男「病める俳人への手紙」
はい。ここは、まどろっこしいけど、順序どおりに引用。
① ここに文台(ぶんだい)が出てきます。
「はじめに」には、こうあります。
「芭蕉は考えるところがあって、
みずから筆を執って俳論や俳諧の作法書を著述することをしなかった。
そこで、弟子たちは芭蕉からの聞き書きをしたり、
芭蕉の考えを忖度(そんたく)したりして蕉門の俳論書を書いた。
『三冊子』もその種の著述の一つである。公刊を意図せず・・・・」
(p2)
それでは、気になる箇所を、原文と口語訳の箇所を並べて引用。
まずは原文から
『師のいはく、学ぶ事はつねに有(あり)。席に望(のぞみ)て・・・
思ふ事速(すみやか)言出(いひいで)て、ここに至りて迷ふ念なし。
文台引きおろせば即(すなはち)反故(ほご)也と、
きびしく示さるる詞(ことば)もあり。
或時は大木倒すごとし。
鍔本(つばもと)に切込意得(きりこむこころえ)、
西瓜(すいくわ)切る如し、
梨子(なし)くふ口つき。
三十六句皆やり句などと、
いろいろにせめられ侍(はべ)るも皆
功者の私意を思ひやぶらせんとの詞也。 」(p98)
ちなみに、『やり句』には注がありました。
「やり句=遣句と書くことが多い。
付句が付けにくくて渋滞したときや凝った句が続いたときなどに
気分を転ずるために軽くあっさりとした句を付ける、その句のこと。」
口語訳
「先生が言われるには、
『(俳諧上達のために)学ぶことは常日ごろに(いくらでも)ある。
(日ごろよく学んでおいて)席に臨んだときは、
文台と自分とのあいだに一本の髪の毛もはさまないように、
思うことを即座に詠み出して、その場になって
迷う気持ちがないようにしなければならない。
(会が終わって)文台から(記録の懐紙を)引き下ろしたなら、
その記録は紙くずと同様である』と、
・・・・・・・・・・・・・・ 」(p98)
はい。長い引用になりました。
②は、『笈』がでてきます。
尾形氏と大岡氏との対談になっております。
尾形】 『おくのほそ道』は芭蕉が最後の旅に発足する
元禄7年の4月に清書が終ります。推敲に推敲をかさねてきて、
これで完成と自身認め、それを能書家の素龍に浄書させたものですが、
芭蕉はこの作品を板本として世に出すことはまるで考えない。
最後の旅の笈のなかに入れていって、郷里の兄に贈る。
その兄は俳人でもなんでもない。その芭蕉の心のなかには、
この作品を生涯の形見、生涯の総決算とするつもりが
あったのじゃないか。そうだとすれば、この作品にはやはり、
芭蕉の俳諧なるものの全体がさまざまな形で
焼きつけられているということになる。 (p148)
①では、『文台から引き下ろしたなら、その記録は紙くずと同様である』
②では、『芭蕉はこの作品を板本として世に出すことはまるで考えない』
はい。この二つの引用をしても、どうしても現代の私から見ると、
ピンとこなくって、うまく咀嚼できない気持ちがぬぐえないのでした。
これを、どう考えたらよいのか? と漠然と思っておりました。
③で、柳田国男は、こう指摘していたのでした。
はい。最後はその箇所を引用しておきます。
「発句には他になほ人も有らうが、
附合(つけあい)は我が風骨と自讃せられたにも拘わらず、
或ひは寧(むし)ろ其為に、翁の発表慾は驚くべく微弱でありました。
・・・・・・
それよりも斯ういった芸術の記録を、片端から公開するやうな風習が、
日本には元来存在しなかったのであります。
歌仙と呼ばるる三十六句の読歌を、
普通の形とせられたのは改革でありまして、
一つには人の根気、一夜の席上で百韻を纏(まと)め上げさせることは、
概して無理であらうと考へられた結果かと思ひますが、
又一つには斯うでもすれば、
ちっとでも人に示しやすい形で、それが永い世の
記念に残ると思はれた為でありませう。
茶会の記録とか会席料理の献立とか、
ああいふ純然たる楽しみの糟(かす)ですらも、
何かの拍子には不朽を獲得して居ります。
もともと我々は不朽が嫌ひではなかったのであります。」
はい。3冊から引用しました。
①では、『文台から引き下ろしたなら、その記録は紙くずと同様である』
②では、『芭蕉はこの作品を板本として世に出すことはまるで考えない』
③では、『茶会の記録とか会席料理の献立とか、
ああいふ純然たる楽しみの糟ですらも、何かの拍子には・・』
こうして並べながら、芭蕉の『軽み』というのを思い描きます。
ただの俳句だけでは理解不能な『軽み』の領分へと導かれます。