桑原武夫氏は83歳(1988年4月)で亡くなります。
78~79歳の頃に『柳田さんと私』という話をしております。
そこに
『私はきのうも「木綿以前の事」を読み返して
いろいろ感動するところがあったのです・・・』
とある。それじゃあと『木綿以前の事』をひらくと
そこでは、柳田さんが、こう書いている。
「七部集は三十何年来の私の愛読書であります。」(自序)
「この議論をあまり詳しくすると、退屈せられる人があっても困るから、
方面を転じて少しく実例をもって説明する。
七部集は私がことに愛読しているので、この中からは例が引きやすい。」
( 生活の俳諧 )
はい。桑原武夫の『いろいろ感動する』と
柳田國男の『私の愛読書』と、これだけあれば、私は満腹。
その都度、「木綿以前の事」と「七部集」とを開くことに。
さて、『木綿以前の事』のなかの、「生活の俳諧」に、
年齢のことがでてきておりました。
「・・・この俳諧というものの入用な時勢、境涯年齢のあることである。
諸君も多分年を取るにつれて、この説に同感せられることが多くなって
来るだろう。
歴史にいわゆる世捨人または隠者というものには、
存外に人世に冷淡な者は少なかった。気分態度からいうと
今日の浪人、ないしは不平家という者とやや似ている。
正面から時代と闘うことはもちろん、大きな声では批評もできず、
風刺も僅かに匿名の落首をもって我慢する人々、
たいていは中途で挫折して、酒や放埓に身をほうらかす人々が、
以前にはこんなおかしな片隅に入って、
文芸によって静かに性情を養って、一生を送っていたのである。
・・・・・・・
今とてもやや形をかえて、この種局外者の
清談文学はなお要求せられている。
それがもう元禄の俳諧のように、
温雅にして同情に充ちたるものでなくなったことは、
この日本のために一つの大きな不幸であるように私は考えている。」
はい。『木綿以前の事』という経験豊かな水先案内人を得て、
いざ。『七部集』をひらく。うん。なんだか道がひらけそう。