丸谷才一著「思考のレッスン」(1999年文芸春秋)が
古本で200円。つい、買ってしまう。
はじめて、読んだ時のその印象が、
鮮やかだったので、その再読です。
う~ん。こんな箇所がありました。
丸谷】自分が読んだ本で、『これは大事だ』という本がありますね。
あるいは、一冊の本の中で、『ここは大事だ』という章がある。
そういうものは、何度も読むことが大切ですね。繰り返して読んだり、
あるいは何年か間隔をおいて読む。
( p135・レッスン3「思考の準備」 )
200円で、自動販売機のコーヒー缶を買うように、
『思考のレッスン』を買い、ゴクリと飲んでみる。
うん。この味だった。新鮮な味わいがよみがえる。
「何年か間隔をおいて」とありますので、
読み返すのにも、それなりの年齢は必要。
この本に、いろいろ本が紹介されてたけど、
ちっとも、読もうという思いはしなかった。
このレッスンをめくるだけで充分楽しめる。
以前と同じようなコーヒーの味わいがある。
さてっと、「長谷川町子 思い出記念館」に、
「私はこうしてやって来た」という文。そこに、
『私たちの才能を一番信じている母』とあります。
それはそうと、小さい頃の絵のことが触れられております。
「私は姉妹の真ん中で、姉といっしょに三つ四つのころから
絵を描くのを、一番好きな遊びとして、岡本帰一の表紙の付いた
子どもノートを日に四、五冊は描きつぶしていました。・・」(p10)
「東京での生活は霞町の一隅にはじまりました。
姉はすでに女学校を卒業していたので、洋画の藤島武二先生に付いて
川端画塾に通学し・・・・
私はそのころから漫画に興味を覚えはじめ、
当時あの有名な『のらくろ』・・田河水泡先生のお弟子に・・」(p11)
絵について、『思考のレッスン』の『レッスン3 思考の準備』に
こんな箇所がありました。
「インタビューは、概してわかりやすいし、ちょっとした
言葉の中に深い内容が込められていて、とても刺激的なんですね。
・・・
レヴィ=ストロースは、ピカソについてこんなことも言っています。
『ピカソの天才性は、
絵画がいまも存在しているという幻想を与える点にある。
油絵という名の難破船がわれわれを海岸に打ち上げる。
そうするとピカソは、その漂着物を集めて何かをつくる、
そういう人だ』
それは名前を入れ換えれば・・・」(p126~127)
このあとに、外国人の名前がつづくのですが、
それならば、ここは思考のレッスンの試運転。
ということで、その海岸で四コマ漫画の名前を考えてる
サザエさん、カツオ、ワカメ、磯野波平、舟・・・・と、
長谷川町子の四コマ漫画の誕生秘話の海岸へ誘われます。
ということで、この箇所。
「大東亜戦争が起こった。一家は郷里の福岡へ疎開して、
しばらく漫画の舞台からは遠退(とおの)いたけれども、
幼いころの思い出の家と、百坪ほどの小さな楽園の四季と、
近い海岸の砂浜に私の思いも及ばない生の営みがありました。
そして私はただ一人で、愉しい構想に耽っては、
それを描きつぶしているのでした。
終戦の翌年、しばらくぶりで、西日本新聞の夕刊紙から、
連載漫画を依頼されました。あれこれと主人公の選択に迷った
あげく、身近なところで題材がえられるので、若い女性を選び
その名もサザエさんと名付け、そのほかの登場人物も全部
海産物の中から名を取りました。これは私どもが海岸近くに
住んでいたので、朝夕磯部を散歩しているうちにヒントをえたものです。」
( p14・「私はこうしてやって来た」 )