和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

書かなくてもかまいません。

2023-02-03 | 本棚並べ
大村はまの講演「教えるということ」に

「・・・そんなことよりも、書けない子どもがたくさんいて、先生が来て
     何かしてくれるのを無意識に、しかし、心から待っているのです。 」
                                                                      ( ちくま文庫・p52 )

「 でも、子どもは『 文章は自分で書くもんだ 』と心得ていますから、

  教師がかりに来てくれなくても、うらみはしません。それどころか、
  書けない自分が悪いと思っているでしょう。かわいそうです。

 『 書くこと 』を頭に浮かべさせられないような
  教師だということを、子どもはうらむことを知りません。
  けれども、教師の方は知っていないければ困ると思います。

  書かせられないのは教師の恥なのです。・・・・

  あるいは事前指導をしなかったという場合もあるでしょうが、
  たとえ事前指導をしたとしても、『 書け 』と言って
  書けない子がいるというのは、・・・・・

  教室でその失敗のあと始末をしなくてよいのでしょうか。
  子どもはいろいろなことを習っていくのですから、
  途中で教えなければ書けません。

  それなのに、書く時は黙って書かせてしまって、
  それから集めて『 これは下手だ、これは上手だ 』と言う。

  ・・・指導者ではなくて批評家です・・・・
  私たちは、批評家ではないのです。
  ・・・批評家の前に指導者なのです。・・・

  自分が、こういうふうに指導して、こういうように書かせたところが、
  これだけのものになってできてきた。では、この次はどんな指導を
  しなければならないかということは、指導者である自分が一番よく
  わかるはずです。・・・・           」( p52~53 )


はい。講演なので、読んだ時はピンとこなかったのですが、
読み返していたら、今回この箇所が印象深い。はい。ここが私が
「大村はま国語教室」に学ぼうとしたキッカケの箇所かもしれません。

大村はまさんに、西尾実氏の本の解説をしている箇所がありました。
そこをパラパラとひらいていると、それはどうやら単元学習のこと
らしいのですが、私にはよくわからない。わからないながら、
気になる箇所がありました。

「 この収集は1年生の秋から始めた。このとき、
  
  目的をはっきりさせ、資料の捜し方、
  手順を考え、カードのとり方の実習をした。

  その後2年間、ときどき、資料の交換を、口頭発表で、掲示で、
  あるいはプリントで実施しながら続けた。

  この間、この作業のもう一つのねらい、
  一対一の対話の機会がたびたび得られた。
  生徒から話してくる、教師から話しかける、
  資料が発見されたにつけ、されないにつけ・・・・  」

  (  p472~473 「西尾実国語教室全集」第7巻(教育出版)  )


ああそうか。この時点で私は、大村はま先生の国語の授業は、
1年から3年までつづく学習だったのだと、やっと気づきます。

うん。それならと、中学3年生の時の苅谷夏子さん。
その感想を引用して今回は終わることに。

「これも私にとって一つの転換点となった単元だ。
 中学校三年生のときのものだ。・・・

 その年、日本経済新聞で長年連載が続いていた。
 ( そして今も続いている)『私の履歴書』の
 単行本刊行が数十冊に達した。

 先生はそのことを紹介し、履歴書、自叙伝、半生記など
 ということばについて少し話したあと、では自分の履歴書、
 つまりこれまでの自分について語る文章をまとめてみよう、
 ということになった・・・

 さっそく私たちは鉛筆を握り、それぞれに構成案をたてはじめた。
 まずは、とにかくトピックを書き出していく。・・・・
 簡単なはずだった。ところがいざ始めてみると予想外に筆が進まないのだ。
  ・・・・

 一時間の授業が終わろうとする少し前、
 しんとした教室の空気を先生の声が破った。

 『 はい、そこまででやめましょう。今考えた文章は、

   書きたかったら書いてみればいいでしょうが、
   書かなくてもかまいません。

   構成を考えたメモだけは、
   しっかり学習記録に入れておきなさい。

   さて、どうでしたか、『私の履歴書』を書こうとするとき、
   できごとを一から十まですべて、あったとおりに、
   そのままに書くわけではなさそうでしょう。

   書いてある内容そのものが、
   その人をすっかり表現しているわけでない。
   選んだことを選んだ表現で書く、
   実際にあったことでも、書かないこともある。

   そこにこそ、その人らしさが出てくるんじゃありませんか・・・』

 私はそのあたりでもう先生の声を聞かなくなっていた。
 ひとつの真実がすとーんと腹に収まった、それを感じて
 私はじっと固まったように思う。・・・・・・・・・

 この鮮やかな導入の手際を、私は忘れたことがない。

 文章を読むときには、作者の意図を考えながら、とか、
 行間の意味を探りながら、というような注意は

 ごくあたりまえのものだ。それを知らないわけではないが、
 そう言われたからといって、なんの助けにもならなかった。

 あの一瞬まで、私は、いわば観客席に座って
 できあがった映画をおとなしく見る幼児と同じであって、
 一方的な受容者だった。

 まあ、受容する楽しみもあるのだが、
 それでは創造の世界にほんとうに迫ることはできない。

 でも、あの一瞬の転換で、『私の創造』が『他者の創造』と重なった。」

       (  p51~52  「教えることの復権」ちくま新書  )

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