昨夜、録画してあった『ポワロ』を見る。
録画が終って、放映中のテレビ番組に切りかわると、
その番組は日本テレビの「ケンミンショー」でした。
うん。その場面が忘れられません。
「滋賀県ダイナミック書道」と新聞番組表にあります。
小・中学生のようです。学校でも塾でも、書道は、
用紙をはみ出すようにして太い筆で書いております。
はい。書いているというよりは、描いている。
太く描けば描くほど、評価が高いのだという生徒たち。
どうして、そんな描き方になったのか、指導者のルーツも
辿られておりました。
明らかに、マス目に収めてゆく鉛筆・ペン書きの指導と並行して、
書道では、大胆で用紙からはみ出すのもお構いなしの書きっぷり。
見ている方も、思わず拍手をしたくなりました。
参加されている県民別のゲストのやりとりも印象に残ります。
書道の時は、あまり墨をつけすぎずに、服を汚したら落ちないのだから
と子供に念を押すお母さんの立場。すかさず、滋賀県出身のゲストさん、
そういえば、登校する皆が皆いつも墨がついた服を着ていたといいます。
生徒の書を展示された場面を見ると、書道の手本があって、
その同じ文字を書くのではなく、自分の好きな文字の書道のようです。
それも、これも、これを指導しはじめた方のことまでが思えてきます。
そうそう、清水の舞台で年一回。老師が今年の一文字を描くでしょう。
あんな感じでした。
ところで、詩人・竹中郁。この詩人がどんな詩人なのか
初期詩編は、私などに歯がたたず、理解不能な感じです。
けれども、竹中郁氏ご自身が、書かれた文がおもしろい。
「 わたくしは奇妙な初対面の記憶を二つ持っている。 」
と短文ははじまり、三島由紀夫と吉田健一の二人が登場します。
「 ひとつは三島由紀夫氏が作家の花道をすっくと立った頃、
銀座四丁目の歩道で猪熊弦一郎氏に紹介された。
三島氏は『 あなたの作詩を愛読しました 』といって、
つづいてその詩をすらすらと間ちがいもなしに暗誦して、
どうですといったような顔つきをした。・・・・・
まっ昼間の人通りの多い歩道の上でのことだから、
どう考えてもやはり異才の行動とでも云って納得するほかない。 」
「 もう一つは、吉田健一氏であった。
これは場所は大阪か神戸かの小ていな料理屋の、
潮どき前のしずかな時間、客といえば吉田氏と
わたしのほかに一人か二人、かねて打ち合わせてあった初対面。
そのときも、吉田さんは一通りの挨拶がすむと、
わたくしの詩の暗誦を抑え目の声ではじめられた。・・・ 」
( p127~128 「竹中郁詩集」現代詩文庫・思潮社 )
はい。こういう詩人が、戦後、子どもの詩の選評をはじめます。
私は、滋賀県の書道の指導者のことを重ねて思ってしまいます。
子ども詩の指導と、滋賀県の書道の指導とをついダブらせます。
はい。最後は、竹中郁の詩を引用したいと思います。
竹中郁少年詩集『子ども闘牛士』( 理論社・1999年 )。
その前に、竹中郁『子どもの言いぶん』(PHP・1973年)から
竹中郁が選んだ詩の3番目でした。その3行目までを引用してから
竹中郁の詩「花は走る」を引用してみることに。
おかあさんの鏡 四年 宗次恭子
おかあさんの鏡
畠のはっぱがうつっている
おかあさんが縫物をしている
・・・・・・
ここに、鏡に「 畠のはっぱがうつっている 」とあったのでした。
はい。つぎは、竹中郁の詩『 花は走る 』の全文。
花は走る 竹中郁
すみれが済んで 木瓜(ぼけ)が済んで
山吹 チューリップ
やがて胡蝶花(こちょうか) 夾竹桃(きょうちくとう)
わが家の小庭のつつましい祭りつづき
幼稚園友だちが誘いにきて
孫が答えながら走りでてゆく
そのにぎやかな声と足音
去年今年(こぞことし)と年々
わが右の高頬(たかほお)に太るしみ
鏡に見入るその背後(うしろ)を
花は 花は走る
花は走りぬける
はい。たとえば、歌会始には、あらかじめお題が出されていますね。
ほぼ一文字のお題があって、それで歌を詠む。
たまたま、ここには『鏡』がある詩がふたつ。
四年 宗次恭子さんの詩と、竹中郁の詩。
うん。あとは余分かもしれませんが、蛇足のたのしみ。
以下に、四年生の詩「おかあさんの鏡」の全文と
竹中郁の選評とを引用。
おかあさんの鏡 四年 宗次恭子
おかあさんの鏡
畠のはっぱがうつっている
おかあさんが縫物をしている
赤い縫物をしている
針がせっせと動いている
針がせっせと動いているえん先
おかあさんの鏡にうつっている
この詩では、さきの二つの作よりも一そうていねいに
見つめよう、見のがすまい、という意思を感じる。
同じ教室で同じ先生に指導されていても、こういう
個人差はでてくるのがあたりまえである。
( p12~13 竹中郁「子どもの言いぶん」 )