大村はま著「日本の教師に伝えたいこと」(ちくま学芸文庫)。
このあとがきを、大村はまさんは、1995年に書いておられます。
大村はまは、1906(明治39)年生れ、2005年に98歳で亡くなっております。
1995年といえば、89歳でしょうか。
この文庫のあとがきを、今日は引用してみたい。
こう書いてありました。
「 教師の仕事の成果は、ほんとうに、
人を育てたものは、なかなか見えにくいものです。
自分で見ることのできることは、ほとんどないでしょうし、
本人が気がつくことは、いっそうないでしょう。
ほんものであればあるほど、ほんとうにその人のものになっていて、
気づかれないでしょう。教師の仕事はそういうものでしょう。 」
このあとでした。89歳の大村はま先生は書いております。
「 私は長生きしていたおかげで、
教え子の成人した姿をたくさん見ることができました。
調べたわけでもたずねたわけでもありません。
何かの折りに、ふと耳に入ったのです。・・・ 」( p237 )
こうして、Aさんから、Eさんまでの語りを紹介されています。
ここには、Cさんと、Dさんの箇所を引用。
Cさん ( 若い方の卒業生。石川台中学校。・・看護婦さん )
「 皆さん、調べるなんてこと、したことがないみたいで。
索引なんか、利用しないし。レポートを出すとき、
私が目次をつけて、表紙をつけているのを見て、びっくりして。 」
Dさん (もう年輩。ある事務局に勤めている )
「 みんな、なにも言わないか、しゃべりまくるか、なんです。
ぼくはそこは、あんなに習ったんだから、このことについては
誰さんに発言してもらったらどうでしょうかと、
話をほかの人にもっていったりするでしょう。
ぼく、とてもいい話し手みたいに見られてるんですよ。 」
こうして、5人の何気ない話を引用してからです。
「 これは、私が心のなかで喜んだ例ばかりです。
こういう人は、そんなにたくさんいないでしょう。
また、この反対のような人もいるでしょう。
でも私は一人でも二人でも、こういう人がいるのを、うれしく思いました。
言語生活の一角が1ミリ高められたように思いました。
芦田恵之助先生が地上1ミリを高めようとおっしゃった
のを思い出して、まねをしてみました。
有名大学を出て、すばらしい活躍をしている人たち、
それはもちろんそれでうれしいですけれど、
それは私などにあまり関係のない、その人の力、
努力、環境、めぐり合わせなどにあるように思われます。 」( p240 )
この箇所を読んでから、寝たのですが、
朝起きたら、孟子の『 助長 』という言葉が思い浮かびました。
はい。ここには諸橋轍次著「中国古典名言事典」から。
「 心勿忘。勿助長也。
心に忘れることなかれ。助け長ぜしむることなかれ。
留意を怠ってはならない。だが、
無理に時を待たず助長してはならない。
・・・・・・・・・・
むかし、宋の国に愚かな人がいて、
自分の畑の苗が、よその苗より生長の遅れているのを気にやんで、
ひそかに出かけて苗をむりに引き伸ばした。
それを聞いて家の者が行ってみると、
無残にも稲の苗はみな枯れていた。
必要なことは、苗をひっぱるの愚ではなく、
苗がよく育つよう、中耕除草を忘れないことである。 」
はい。Cさんの索引・目次のことや、Dさんの話し合いの場面を
これから大村はま先生の本で知ってゆくことになります。
ちなみに、『 地上から1ミリ 』の話で思い浮かぶ箇所。
「教えることの復権」( ちくま新書 )の
苅谷剛彦さん夫婦との鼎談では、こうありました。
夏子】 大村先生は、ずっと実践家だから・・・・
でも、その提案を受け取って、実践に移すのは
やはりむずかしいことなんでしょうか。
大村】 やはり時間がないのかなと思ったりしますよ。
剛彦】 ・・・・それはむずかしいとは思います。
でも・・・少しでも上向けばいいでしょう。
・・・たとえ1ミリでも、それだけでも動かせたら・・・
大村】 西尾先生もそうおっしゃていた。
地上1ミリを高めればいいと。
大村】 ・・・・とりあえず明日の授業を高めるために、
二つでも三つでもてびきを用意してみる。
私も深川でそうやって始めたことです。
そういう奇特な人がいればいい。
そしてそれを磨き合う場に身を置く。
そういう身近な小さいことをしないとだめなんでしょうね。
( p167~168 )
そうそう。
芦田恵之助 ( 1873年~1951年 )
西尾実 ( 1889年~1979年 )
大村はまは ( 1906年~2005年 )
この3人。苅谷夏子著「大村はま 優劣のかなたに」(ちくま学芸文庫)では、夏子さんがこう指摘されておりました。
「 大村はまもそういう改革者だ。
芦田恵之助、西尾実といったような優れた師をもち、
深く尊敬したけれども、その師の示したところにさえ、
じっと留まるということができなかった。・・・ 」( p21 )