和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

長生きしていたおかげ。

2023-02-11 | 本棚並べ
大村はま著「日本の教師に伝えたいこと」(ちくま学芸文庫)。
このあとがきを、大村はまさんは、1995年に書いておられます。

大村はまは、1906(明治39)年生れ、2005年に98歳で亡くなっております。
1995年といえば、89歳でしょうか。

この文庫のあとがきを、今日は引用してみたい。
こう書いてありました。

「 教師の仕事の成果は、ほんとうに、
  人を育てたものは、なかなか見えにくいものです。

  自分で見ることのできることは、ほとんどないでしょうし、
  本人が気がつくことは、いっそうないでしょう。

  ほんものであればあるほど、ほんとうにその人のものになっていて、
  気づかれないでしょう。教師の仕事はそういうものでしょう。  」

このあとでした。89歳の大村はま先生は書いております。

「 私は長生きしていたおかげで、
  教え子の成人した姿をたくさん見ることができました。

  調べたわけでもたずねたわけでもありません。
  何かの折りに、ふと耳に入ったのです。・・・   」( p237 )


こうして、Aさんから、Eさんまでの語りを紹介されています。
ここには、Cさんと、Dさんの箇所を引用。


Cさん ( 若い方の卒業生。石川台中学校。・・看護婦さん )

 「 皆さん、調べるなんてこと、したことがないみたいで。
   索引なんか、利用しないし。レポートを出すとき、
   私が目次をつけて、表紙をつけているのを見て、びっくりして。 」

Dさん (もう年輩。ある事務局に勤めている )

 「 みんな、なにも言わないか、しゃべりまくるか、なんです。
   ぼくはそこは、あんなに習ったんだから、このことについては
   誰さんに発言してもらったらどうでしょうかと、
   話をほかの人にもっていったりするでしょう。
   ぼく、とてもいい話し手みたいに見られてるんですよ。  」


こうして、5人の何気ない話を引用してからです。

「 これは、私が心のなかで喜んだ例ばかりです。
  こういう人は、そんなにたくさんいないでしょう。

  また、この反対のような人もいるでしょう。
  でも私は一人でも二人でも、こういう人がいるのを、うれしく思いました。
  言語生活の一角が1ミリ高められたように思いました。
  芦田恵之助先生が地上1ミリを高めようとおっしゃった
  のを思い出して、まねをしてみました。

  有名大学を出て、すばらしい活躍をしている人たち、
  それはもちろんそれでうれしいですけれど、
  
  それは私などにあまり関係のない、その人の力、
  努力、環境、めぐり合わせなどにあるように思われます。 」( p240 )


この箇所を読んでから、寝たのですが、
朝起きたら、孟子の『 助長 』という言葉が思い浮かびました。

はい。ここには諸橋轍次著「中国古典名言事典」から。

「 心勿忘。勿助長也。
  心に忘れることなかれ。助け長ぜしむることなかれ。

  留意を怠ってはならない。だが、
  無理に時を待たず助長してはならない。

  ・・・・・・・・・・

  むかし、宋の国に愚かな人がいて、
  自分の畑の苗が、よその苗より生長の遅れているのを気にやんで、
  ひそかに出かけて苗をむりに引き伸ばした。

  それを聞いて家の者が行ってみると、
  無残にも稲の苗はみな枯れていた。

  必要なことは、苗をひっぱるの愚ではなく、
  苗がよく育つよう、中耕除草を忘れないことである。  」


はい。Cさんの索引・目次のことや、Dさんの話し合いの場面を
これから大村はま先生の本で知ってゆくことになります。


ちなみに、『 地上から1ミリ 』の話で思い浮かぶ箇所。

「教えることの復権」( ちくま新書 )の
苅谷剛彦さん夫婦との鼎談では、こうありました。

夏子】 大村先生は、ずっと実践家だから・・・・
    でも、その提案を受け取って、実践に移すのは
    やはりむずかしいことなんでしょうか。

大村】 やはり時間がないのかなと思ったりしますよ。

剛彦】 ・・・・それはむずかしいとは思います。
    でも・・・少しでも上向けばいいでしょう。
    ・・・たとえ1ミリでも、それだけでも動かせたら・・・

大村】 西尾先生もそうおっしゃていた。
    地上1ミリを高めればいいと。

大村】 ・・・・とりあえず明日の授業を高めるために、
    二つでも三つでもてびきを用意してみる。

    私も深川でそうやって始めたことです。
    そういう奇特な人がいればいい。
   
    そしてそれを磨き合う場に身を置く。
    そういう身近な小さいことをしないとだめなんでしょうね。 

                        ( p167~168 )

そうそう。
     芦田恵之助 ( 1873年~1951年 )
     西尾実   ( 1889年~1979年 )
     大村はまは ( 1906年~2005年 )

この3人。苅谷夏子著「大村はま 優劣のかなたに」(ちくま学芸文庫)では、夏子さんがこう指摘されておりました。

「 大村はまもそういう改革者だ。
  芦田恵之助、西尾実といったような優れた師をもち、
  深く尊敬したけれども、その師の示したところにさえ、
  じっと留まるということができなかった。・・・    」( p21 )







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