本は数ページ読んでは、放り投げちゃうタイプです。
はい。児童のころから、そうでした。
いまでも、ちっともかわらないなあ。
こうして、私と本との、スタートラインはここでした。
ところが、詩集なら、本の数ページ分の字数でもって
詩集一冊を読みとおせちゃう。チンプンカンプンでも
最後まで読めちゃうので、途中で断念の罪悪感はなし。
一篇の詩を読みボンヤリしててもそれなりに様になる。
これは、私には発見でした。思潮社の現代詩文庫など、
手頃な価格の詩集の分かりやすい箇所をひらいてみる。
不思議なもので、その時は分からなくっても、
魅力は浮力となって、後になって浮んでくる。
浮んでくれば、その箇所をまたひろげてみる。
何回か繰り返してると本は捨てられなくなる。
気になった箇所が思い浮かぶと本を辞書のようにめくります。
探し出せないと、けっきょく最初から読んでいたり、そこに
なければ、あきらめたり。
あれ。こんな感じは、誰かの詩にあったなあ。
辞書 杉山平一
辞書の中に迷いこんで
行きつけないで
よその家へ上りこんで
紅茶をのんで帰ってきた
( p95 「杉山平一詩集」現代詩文庫・思潮社 )
はい。『 よその家へ上りこんで 』しまうように、
この杉山平一詩集を、もうすこしパラパラとめくる。
あれれ、こんな詩もあった。と最後に引用するのは
問い 杉山平一
手段がそのまま
目的であるのはうつくしい
アイスクリームの容れものの三角が
そのままたべるウエファースであり
運ぶ木材の幾十百本が
そのまま舟の筏であるように
『 なんのために生きるのです 』
そんな少女の問いかけに
『 問いはそのまま答えであり 』と
だれかの詩句を心に呟きつつ
だまって僕はほほえんでみせる