和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

二周も三周もおくれて。

2023-02-04 | 詩歌
詩だと思いこんでいたら『あとがき』でした。
こんな箇所がありました。

「・・記念会で・・
  『 第一線を走っていると思っていたのに、
    あるとき、ふと、自分は一周遅れだったことに気づかされ、

    肩を並べているが実はいまは二周も三周もおくれているらしい。
    だからゴールはまださきであると思う 』

  などといった。

 ・・・伊東静雄さんが、
 杉山は別の山にのぼってバンザイしているといわれた通り、
 自分は一周二周おくれではなく皆と別の場所を走っていた
 らしいという気がしてきた。 ・・・    」
   
     ( p812  「杉山平一全詩集《下》」編集工房ノア  )


はい。『二周も三周もおくれて』とか、『別の場所を走っていた』とか、
こんな詩人を紹介してみたくなりました。

       重さ      杉山平一
 
   ぴったりの重さというものがある。
   少しの荷物は持つ方が快よいときがあるものだ。
  
   手ぶらや、はだかでは 浮くようで、
   取りつくしまがない。

   足が地につくよう この悩みと悲しみを、
   私は大切に持って歩く。


        月      杉山平一

   電車を降りると
   ホームの屋根の上に
   待ってくれている
   月と出会うことがある

   きょうは
   ビルとビルの間から
   心配そうに
   私をのぞいてくれていた  


あとひとつ、たまたまひらいた箇所に

      開聞岳    杉山平一


     昭和15年2月10日早暁
     海上から打ち眺めた
     開聞岳の眉目

   という竹中郁の詩が仲々見つからない。
   南方詩を集めた詩集「龍骨」に無く、
   やっと、大戦後の「動物磁気」に、見つける。

   晴れた夜、「海から生えたやうな傑作」と、
   竹中郁が歌ったこの本州最南端の頂上に立つと、
   ときに、南十字星の先端が地平線に覗くのが見えるという。

   いまは、空が濁って、いよいよ見え難いかも知れない。
   きらりと澄む竹中郁という星を失って、
   濁っているのは空ばかりではない、と気がつく。


はい。読むたび、いろいろな詩があることに気づきます。

(  ちなみに、詩の改行は、私の自由にさせてもらいました。 ) 

うん。
『伊東静雄さんが、杉山は別の山にのぼってバンザイしているといわれた』
この『別の山』が気になるので、もうひとつ詩を引用してみたくなります。


    少し横のところを    杉山平一


   言葉も銃弾と同じだ
   やかましく やたらに
   とび交っているが

   めったに
   当たるものではないのだ

   当てようと思うなら
   ここぞという
   目標をしっかり定めて

   その少し横のところを
   狙ってぶっ放せば
   手裏剣のように
   心に深く突き刺さる
   筈だ


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メガネのこと。

2023-02-04 | 詩歌
グルグルとグラウンドを走っている。
周回遅れでいつのまにか先頭をはしっているような・・・。

たしか杉山平一の詩に、そんなのがあったと思ったけど、
たしかめたくて、詩集をひらいてもこれが見あたらない。

ああ、これじゃみつかりそうもない。
久し振りの杉山平一なので開いた詩。



       探求      杉山平一  

  懸命にさがしても
  見つからず

  ある日 アッ
  こんなところにあった
  目の前に
  と 気づかされるのは
  人の世によくあることである

  それは真理とか
  生きて行く意味とか
  本当に大切なひと
  などというものではなく

  わたしのメガネのことだ


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする