藤原正彦氏が、大村はまの作文指導を指摘されていました。
「 先生は・・・生徒の作文指導をしていくうちに、
うまく書けた作文とだめな作文には、それぞれ
書き出しに一定のパターンがあることに気づかされた。
たとえば『夏休み』という題で書く時、
『 明日から夏休みですが宿題が心配です 』
などという書き出しでは必ずだめになる。
そこで先生はそれらを型として分類されたそうである。
実際、途中で書けなくなっている生徒に書き出しを
二行くらい書いてやると、うまく書き続けることができるという。
書き出しで作文全体の出来が大体決まってしまう、
というのは大変な発見と思う。
数学や物理学では、初期値が与えられると
結果が完全に決まってしまう、ということがよくある。
これの国語版と言える。・・・・ 」
( p324 「かけがえなきこの教室に集う」小学館・2004年 )
生徒の作文を抱えて歩いていた大村はま先生。職員室の先生方の前で、
『作文の研究じゃいけないんですか!』と怒鳴ってしまった大村はま先生。
うん。ここに
「 実際、途中で書けなくなっている生徒に書き出しを
二行くらい書いてやると、うまく書き続けることができるという。
書き出しで作文全体の出来が大体決まってしまう 」
とあったのでした。
ここまでくれば『 最初の2行が読みたい 』といいたくなります。
ここで、思い浮かぶのは週刊新潮を立ち上げた、齋藤十一氏でした。
その回想に、こんな箇所があります。
「 齋藤さんがタイトルを大切になさっていたことは、
あまり知られていないことかもしれない。
『 週刊新潮 』の編集長が野平健一になっても、
そのあとの山田彦彌になっても、毎週の特集の
タイトル4本か5本は、すべて齋藤さんが
ご自分で付けられていた。
特集だけはゲラもお読みになっていたと思う。
そして、すべての作業が終わったあとの
30分間ぐらいを使ってタイトルをつくられた。
うまかった。読んでみたいと思わされるタイトルだった。
・・・特集の書かれている内容よりタイトルの方がセンスがあった。 」
( p86 「編集者齋藤十一」冬花社・2006年 )
これは、亀井龍夫氏の文のなかにありました。
もうひとり、石井昴氏の文は『 タイトルがすべて 』とあります。
最後にこちらからも、ちょっと引用。
「・・『 編集者ほど素晴らしい商売はないじゃないか、
いくら金になるからって下等な事はやってくれるなよ 』
『 俺は毎日新しい雑誌の目次を考えているんだ 』
次から次に熱い思いを我々若輩に語りかけられた。
齋藤さんの一言一言が編集者としての私には血となり肉となった。 」
( p182~183 )
作文指導の大村はま先生と、
雑誌編集者の齋藤十一とを、並べての『重ね読み』。