「梅棹忠夫 語る」(聞き手小山修三・日経プレミアシリーズ新書)
このなかに、ご自身の著作目録をこしらえたことが語られてる。
梅棹】 ・・第一に、ほんとおどろくべき話やけれど、わたしが始めるまで、
自分の書いたものを残すべしという習慣がなかった。・・・
もう古い話やけど、わたしが還暦のときに自分の
著作目録というものをこしらえて、それを
桑原武夫先生のところへ持っていった。そうしたら
桑原さんは、『 こんなもんつくって、大迷惑だ 』って・・・
・・・桑原先生は
『 みんな真似しようと思っても、もういまさらでけへんやろ 』
って。ほんとうに信じられない話だけど、
みな自分が書いたものを残してなかったわけです。
自分でやらなければ、だれも残してくれない。
わたしは中学校のときのものから残っている。
ガリ版やけれど、中学校のときのもあります。
『 そんなん、あたりまえやないか 』と思うんやけど。
小山】 そう言われると忸怩(じくじ)たるものがある。・・・
梅棹】 いつから残ってる?
小山】 それは民博に来て、しばらくたってからです。
だけど手伝いに来た大学院生がまた捨てるんですよ、
『 これは紙ですね 』って、じゃ、どんなものを
残すのかと言うと、たとえば柳田國男全集とか。 ( p82 )
その前段のページには、こうあります。
小山】 ぼくもアメリカとかイギリスへ行って、
アーカイブズの扱いの巧みさというものを見てきました。
パンフレットとか片々たるノートだとか、
そういうものもきちっと集めていくんですよね。
梅棹】 アメリカの図書館はペロッとした一枚の紙切れが残っている。
小山】 その一枚の紙が、ある機関を創設しようとかっていう
重要な情報だったりするんですな。それがきっちっと揃っている。
梅棹】 だいたい図書館は内容とはちがう。
わたしが情報ということを言い出したのは、それがある。
情報とは中身の話や。・・・・・・・・・・・ ( p80 )
はい。『 自分でやらなければ、だれも残してくれない。
わたしは中学生のときのものから残っている、
ガリ版やけれど、中学生のときのもあります。 』
はい。そういう人が『知的生産の技術』を書いたのだと、
きちんと把握しておきたくなるエピソードなのだと思う。
期せずして、中学生の頃の梅棹忠夫がでてきておりました。
『中学生のときのガリ版』ここからわたしが辿ろうとする、
中学校の大村はま先生へつながる道筋に陽があたるような。