和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

中学校のときのガリ版。

2023-02-07 | 本棚並べ
「梅棹忠夫 語る」(聞き手小山修三・日経プレミアシリーズ新書)
このなかに、ご自身の著作目録をこしらえたことが語られてる。

梅棹】 ・・第一に、ほんとおどろくべき話やけれど、わたしが始めるまで、
     自分の書いたものを残すべしという習慣がなかった。・・・

    もう古い話やけど、わたしが還暦のときに自分の
    著作目録というものをこしらえて、それを
    桑原武夫先生のところへ持っていった。そうしたら
    桑原さんは、『 こんなもんつくって、大迷惑だ 』って・・・

    ・・・桑原先生は
   『 みんな真似しようと思っても、もういまさらでけへんやろ 』
    って。ほんとうに信じられない話だけど、
    みな自分が書いたものを残してなかったわけです。
    自分でやらなければ、だれも残してくれない。
    わたしは中学校のときのものから残っている。
    ガリ版やけれど、中学校のときのもあります。
   『 そんなん、あたりまえやないか 』と思うんやけど。


小山】 そう言われると忸怩(じくじ)たるものがある。・・・

梅棹】 いつから残ってる?

小山】 それは民博に来て、しばらくたってからです。
    だけど手伝いに来た大学院生がまた捨てるんですよ、
   『 これは紙ですね 』って、じゃ、どんなものを
    残すのかと言うと、たとえば柳田國男全集とか。   ( p82 )


その前段のページには、こうあります。


小山】 ぼくもアメリカとかイギリスへ行って、
    アーカイブズの扱いの巧みさというものを見てきました。

    パンフレットとか片々たるノートだとか、
    そういうものもきちっと集めていくんですよね。

梅棹】 アメリカの図書館はペロッとした一枚の紙切れが残っている。

小山】 その一枚の紙が、ある機関を創設しようとかっていう
    重要な情報だったりするんですな。それがきっちっと揃っている。

梅棹】 だいたい図書館は内容とはちがう。
    わたしが情報ということを言い出したのは、それがある。
    情報とは中身の話や。・・・・・・・・・・・    ( p80 )


はい。『 自分でやらなければ、だれも残してくれない。
     わたしは中学生のときのものから残っている、
     ガリ版やけれど、中学生のときのもあります。 』


はい。そういう人が『知的生産の技術』を書いたのだと、
きちんと把握しておきたくなるエピソードなのだと思う。


期せずして、中学生の頃の梅棹忠夫がでてきておりました。
『中学生のときのガリ版』ここからわたしが辿ろうとする、
中学校の大村はま先生へつながる道筋に陽があたるような。
  
コメント (2)
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学者長屋のメールボックス。

2023-02-07 | 本棚並べ
カタログ「梅棹忠夫 知的先覚者の軌跡」(国立民族学博物館)の中の
写真に「人文科学研究所分館での増築祝いの会」(p103)という一枚がある。

玄関らしきまえに立っている、写真の面々はというと、
会田雄次、桑原武夫、貝塚茂樹、藤枝晃、樋口謹一、梅棹忠夫。

そういえば、藤本ますみ著「知的生産者たちの現場」(講談社・1984年)に
会田雄次がでてくる場面がありました。

はい。その箇所が思い浮かんだので引用しておくことに。

「教官の名札のかかった研究室の並ぶ廊下をあるいて、
 『 ここは学者長屋ですな 』といった人がいる。 」(p142)

こうはじまっておりました。

「・・研究所のメール・ボックスもアパートのように玄関ホールの
 一隅にあった。銭湯の脱衣を入れる棚を小さくしたようなもので、
 その一つ一つにも、先生がたの名前がかかれていた。・・

 ときたま、會田雄次先生をお見かけすることがあった。
 長身でやせ型の先生が、心もち肩をすぼめるようにして、
 玄関ホールの階段の横で、書類のようなものを立ち読みしていらっしゃる。

 はじめのうちは目礼をして通りすぎるだけだったが、そのうち
 あいさつをするようになった。そのころ會田先生の研究室は二階にあった。

 先生は出勤してこられると、メール・ボックスをのぞいて、
 なかのものをとっていかれる。あるとき、メール・ボックスの前で
 顔をあわせたら、先生はこんなことおっしゃった。

 『・・・・ときどき、合田になっていたり、雄二とかいてあったりする
  のがきます。とくにダイレクトメールなどにそれが多い。そういうのは、
  封を切らずに、階段の下にあるごみ箱へ落していくんですよ。

  あて名のきちんとしたのだけ封を切って、ええ、ここで切ってしまって、
  階段の下でさっと目を通し、自分のほうから用がないと思ったのは、
  その場で処分してしまいます。

  階段のところにごみ箱がおいてあるのは便利ですよ。
  二階まで持っていく労力がはぶけますから。
  いらんものはためこまないこと、これがぼくの整理法ですな 』

  ・・・『 まあ。それで困られるようなことはないのですか 』
  はっきりしているというのか、思い切りがいいというのか、
  
  なんでもすぐにはすてない主義の梅棹先生とは正反対の
  會田式整理法に驚いたわたしは、そうたずねないではいられなかった。

 『・・・・・・なんでも残しておくと、
  今度はそのお守(も)りがたいへんですわ。

  入れ物と、それをお守りする人と、それを置いておく場所と、全部
  面倒みていかんならん。そりゃあ、たいへんなお金と労力がかかります。

  わたしはそんなこと、ようしませんから、
  ごらんのようにここで始末をつけていきます 』

  そういい残して、會田先生は二階へあがっていかれた。

  ・・・・・
  それにしても一方にフクロのような歯止めの装置を考えてまで
  物を残そうとする人がいるかと思えば、  
  他方には、玄関先で切りすててしまう人がいる。

  その両極端を身近で見たわたしは、
  ファイリング・システムの番人をしている自分の存在を考えてしまった。」
                  ( ~p146 )


引用がまたしても長くなりました。
最後は、『知的生産の技術』から、ここを引用。

「 そこで、知的生産の『技術』が重要になってくる。
  はじめは、研究の技術というところから話をはじめたが、
  技術が必要なのは研究だけではない。一般市民の日常生活においても、
  『知的生産の技術』の重要性が、
  しだいに増大しつつあるようにおもわれる。

  資料をさがす。本をよむ。整理をする。ファイルをつくる。かんがえる。
  発想を定着させる。それを発展させる。記録をつける。報告をかく。

  むかしなら、ほんの少数の、学者か文筆業者の仕事だった。
  いまでは、だれでもが、そういう仕事を
  しなければならない機会を無数にもっている。

  生活の技術として、知的生産の技術を
  かんがえなければならない理由が、このへんにあるのである。 」

           ( p13 「知的生産の技術」の「はじめに」 )

今回の引用から、たまには家のポストを開ける際に
會田雄次氏の顔が思い浮びそうな気がしてきました。

ちなみに、わたしはダイレクトメールでも裏面が白紙のものは取って置き、
メモ用紙として使い。封筒も何かにつかえると思い残しておくタイプです。
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